法話の中心は、仏徳讃嘆にあります。その讃歎する内容の主題にあたる部分を「讃題」と言い、聖典のご文から選びます。
ここでは「讃題」としてよく用いられるご文の一例を、
・浄土三部経
・教行信証
・和讃
のなかからご紹介します。
浄土三部経
如来、無蓋の大悲をもつて三界を矜哀したまふ。世に出興するゆゑは、道教を光闡して、群萌を拯ひ恵むに真実の利をもってせんと欲してなり。
(仏説無量寿経、註釈版9頁)
釈迦牟尼仏、よく甚難希有の事をなして、よく娑婆国土の五濁悪世、劫濁・見濁・煩悩濁・衆生濁・命濁のなかにおいて、阿耨多羅三藐三菩提を得て、もろもろの衆生のために、この一切世間難信の法を説きたまふ。
(仏説阿弥陀経、註釈版128頁)
光明は、あまねく十方世界を照らし、念仏の衆生を摂取して捨てたまはず。
(観無量寿経、註釈版102頁)
なんぢよくこの語を持て。この語を持てといふは、すなはちこれ無量寿仏の名を持てとなり。
(観無量寿経、註釈版117頁)
教行信証
ああ、弘誓の強縁、多生にも値ひがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。
(総序、註釈版132頁)
つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり。
(教文類、註釈版135頁)
ひそかにおもんみれば、難思の弘誓は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり。
(総序、註釈版131頁)
それおもんみれば、信楽を獲得することは、如来選択の願心より発起す。真心を開闡することは、大聖(釈尊)矜哀の善巧より顕彰せり。
(信文類・別序、註釈版209頁)
しかれば、大悲の願船に乗じて光明の広海に浮びぬれば、至徳の風静かに衆禍の波転ず。すなはち無明の闇を破し、すみやかに無量光明土に到りて大般涅槃を証す、普賢の徳に遵ふなり、知るべしと。
(行文類、註釈版189頁)
和讃
生死の苦海ほとりなし ひさしくしづめるわれらをば
弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける
(高僧和讃、註釈版579頁)
本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし
(高僧和讃、註釈版580頁)
十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなはし
摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる
(浄土和讃、註釈版571頁)
平等心をうるときを 一子地となづけたり
一子地は仏性なり 安養にいたりてさとるべし
(浄土和讃、註釈版573頁)
無明長夜の灯炬なり 智眼くらしとかなしむな
生死大海の船筏なり 罪障おもしとなげかざれ
(正像末和讃、註釈版606頁)
不思議の仏智を信ずるを 報土の因としたまへり
信心の正因うることは かたきがなかになほかたし
(正像末和讃、註釈版608頁)