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讃題の例と解説 / 解説10

光明は、あまねく十方世界を照らし、念仏の衆生を摂取して捨てたまはず。

(観無量寿経、註釈版102頁)

現代語訳

光明はひろくすべての世界を照らして、仏を念じる人々を残らずその中に摂め取り、お捨てになることがないのである。

(『浄土三部経(現代語版)』184頁)

全体の味わい

釈尊は韋提希夫人に阿弥陀如来を観ずる方法として、阿弥陀如来の真のおすがたと光明を想い描くことを説かれます。その中で、阿弥陀如来のおすがたにそなわる光明は、すべての世界を照らし、念仏する人々を残らず摂め取って、決してお捨てになることがないという特徴について説かれるご文です。

すべての衆生を照らし、念仏する人々を救うという光明の具体的なすがたから、阿弥陀如来の深遠なお心を窺うとともに、阿弥陀如来に救われていることの力強さを味わいましょう。

み教えのポイント

阿弥陀如来の光明

  • ・ここでは、阿弥陀如来の光明の具体的なはたらきとして、信心の念仏者を摂取して捨てない(摂取の光明)という側面が示されている。阿弥陀如来の光明には、この他に、私たちの煩悩の闇を破るはたらき(破闇の光明)や信心をいただくように導くはたらき(調熟の光明)がある。

あまねく十方世界を照らす光明

  • ・阿弥陀如来の光明はすべての世界を照らしておいでである。つまり、この光明にもれる者はただの一人もいないということである。
  • ・阿弥陀如来の本願には、救いの対象として「十方衆生」と誓われている。

念仏の衆生

  • ・念仏の衆生とは、阿弥陀如来の本願に誓われているとおりに、阿弥陀如来のお心をいただき、南無阿弥陀仏のみ名を称える信心の行者のことである。
  • ・信心の行者は、阿弥陀如来の本願に誓われた本意にかなっているので、摂取不捨の利益を得るのである。

摂取不捨

  • ・「摂取不捨」とは、信心の行者を大悲の光明のなかに摂め取って決して捨てない、という阿弥陀如来の救いの確かさを告げるものである。
  • ・親鸞聖人は「摂はをさめたまふ、取はむかへとる」と『一念多念文意』(註釈版679頁)に示されています。
  • ・「摂」は手で集めあわせるという意味で、「取」は手にしっかりと持つという意味であり、「摂取」とは、手で集めあわせてしっかりと持つという意味となる。「捨」は「取」の反対の語で、手ばなすことであるから、「不捨」は「摂取」を一段と強調して決して手ばなさないという意味となる。

法話作成のヒント

念仏の衆生と阿弥陀仏の関わり

  • ・善導大師は『観経疏』「定善義」の「真身観釈」(七祖註釈版436頁)において、「摂取不捨」のいわれを親縁・近縁・増上縁の三縁によって示されます。三縁は、阿弥陀如来と念仏の衆生との具体的な関わりを表現します。三縁という関わりから、念仏者の受ける利益の有難さについて味わいましょう。
  • ・阿弥陀如来は、「見てござる、聞いてござる、知ってござる」ともいわれるように、私が礼拝すれば一拝もあまさず見とどけ、私が称えれば一声も聞き逃さず、私が如来や浄土を想えばその心を必ず知ってくださっているのです。このような関わりを「親縁」といいます。
  • ・阿弥陀如来は、念仏の衆生から一瞬も離れずに、常にすぐ近くにいてくださいます。このような関わりを「近縁」といいます。
  • ・阿弥陀如来の衆生を救って浄土へ往生させてくださる本願力は、衆生の煩悩罪障に少しもさわりなく自在にはたらいてくださいます。この本願力のことを「すぐれた因縁」という意味で親鸞聖人は「増上縁」と示されます。

阿弥陀の名のり

  • ・「阿弥陀」とは、「無量の光明をもって十方の世界を照らし、念仏の衆生を摂取して捨てない」という名のりです。この名のりをそのままいただき、それが口に出たところが称名念仏です。
  • ・『浄土和讃』(註釈版571頁)には、

    十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなはし
     摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる

    と示されます。摂取不捨の左訓に「ひとたびとりて永く捨てぬなり」「摂はものの逃ぐるを追はへとるなり」とあります。「摂取不捨」は、あたかも、母が我が子をしっかり抱いて離さないように、阿弥陀如来が私にはたらき続けていることを示しています。

三縁の出拠

  1. 「親縁」

    衆生行を起して、口につねに仏を称すれば、仏すなはちこれを聞きたまふ。身につねに仏を礼敬すれば、仏すなはちこれを見たまふ。心つねに仏を念ずれば、仏すなはちこれを知りたまふ。衆生仏を憶念すれば、仏また衆生を憶念したまふ。彼此の三業あひ捨離せず。(七祖註釈版436頁)

  2. 「近縁」

    衆生仏を見たてまつらんと願ずれば、仏すなはち念に応じて現じて目の前にまします。(七祖註釈版437頁)

  3. 「増上縁」

    衆生称念すれば、すなはち多劫の罪を除く。命終らんと欲する時、仏、聖衆とみづから来りて迎接したまふ。諸邪業繋もよく礙ふるものなし。(七祖註釈版437頁)