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讃題の例と解説 / 解説1

生死の苦海ほとりなし ひさしくしづめるわれらをば

弥陀の弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける

(高僧和讃、註釈版579頁)

現代語訳

生死の世界は苦しみばかりの海のように果てがない。

この海に遠い過去より沈んでいる私たちを、阿弥陀如来の本願の船は、乗せてかならず渡してくださる。

全体の味わい

私たちは、さとりに役立つものを何一つ持ち合わせず、ただ迷いのなかに沈みつづけるしかない存在です。阿弥陀如来はそのような凡夫を哀れみ、凡夫が凡夫のままで迷いの世界を超えていくことのできる確かな救いの法を成就されました。

このご和讃から、迷いのなかにある私の姿と、その私をそのままに摂め取ってくださる本願の救いの確かさを味わわせていただきましょう。

そしてこの救い(弘誓のふね)にまかせることで、ともどもに救われていくことを、聴衆の方々とともに喜ばせていただきましょう。

み教えのポイント

「生死の苦海ほとりなし」

  • ・「生死」とは、生死流転、流転輪廻のこと。
  • ・私たちは阿弥陀仏の本願に出遇うまで、はてなき六道輪廻の苦しみを繰り返してきた。
  • ・私たちの苦しみが満ちあふれ、はてがないことを「ほとりなし」とあらわしている。

「ひさしくしづめるわれらをば」

  • ・この第二句では、生死の迷いを繰り返すありさまが、「ひさしく」という長さと「しずめる」という深さで表現されている。

「弥陀弘誓のふねのみぞ」

  • ・後半の二句において、生死の苦海は、生死流転を繰り返してきた煩悩具足の私たち自らの力では渡り切ることができず、阿弥陀如来の本願の救いの船に乗る以外にはないことが示されている。

「のせてかならずわたしける」

  • ・「私が乗って、私がわたる」という表現ではない。
  • ・阿弥陀如来が本願の船に「乗せてわたす」という表現に、如来の深い慈悲の心があらわされている。
  • ・「かならず」という言葉に、誰一人としてもらさない確かな本願の救いがうかがえる。

法話作成のヒント

「生死の苦海ほとりなし」

  • ・私たちは、仏法に遇わなければ、ただ生まれ、ただ死んで、また迷いのいのちを繰り返すしかありません。
  • ・『教行信証』「総序」に「難度海」といわれる私たちの苦しみのありよう(生・老・病・死・愛別離・求不得・怨憎会・五陰盛)を考え、そこをめがけてはたらいてくださる如来のお慈悲を味わいましょう。

「ひさしくしづめるわれらをば」出拠

  • ・迷いの世界に生きる凡夫が、永遠の過去世より現在に至るまで久しく出離する縁がなかったということは、「機の深信」として「自身は現にこれ曠劫よりこのかた常に没し、常に流転して出離の縁あることなし」(註釈版218頁)とも示されています。
  • ・「機の深信」の要点は、私たちがさとりに役立つものを何一つ持ち合わせていないことを知らせていただくことです。「ふね」の譬えと合わせてお話しをする場合、自力では決して浮くことのできない「石ころ」に譬えると分かりやすいでしょう。

「弥陀弘誓のふねのみぞ」

  • ・「ふね」(弥陀弘誓)に乗せられれば、沈むしかない石ころ(凡夫)も、向こう岸へと渡ることができます。私たちの浄土への往生は、すべて如来の本願のはたらきによるものであることを、ふねの譬えから味わいましょう。

  • 石と舟の喩えは、『往生要集』に『那先比丘問仏教』の譬え(七祖註釈版1139頁)が引かれており参考になります。源信和尚はそれをうけて、「沙礫少なしといへども、なほ浮ぶことあたはず。磐石大なりといへども、船に寄すればよく浮ぶ」(七祖註釈版1143頁)と、示されています。
  • ・凡夫が聖者となることでさとりの世界に至るのではありません。命終わるまで凡夫でしかありえない私たちが、凡夫のままでさとりの世界へと渡らせていただくことのありがたさを味わいましょう。

「のせてかならずわたしける」

  • ・「われら」とあることは、私たちがともに救われていく道(ふね)であることが表されています。親鸞聖人が「浄土真宗は大乗のなかの至極なり」(註釈版737頁)と示されたお心を味わいましょう。
  • ・「かならずわたしける」とあるように、阿弥陀仏の本願の救いは漏れる者がありません。確かな救いをいただいていることを、ともに喜ばせていただきましょう。

語釈

  1. 生死の苦海
    煩悩によって生き死にを繰り返す迷いの世界のことを、苦しみばかりの海にたとえた言葉。
  2. 弘誓のふね
    阿弥陀仏の本願を、迷いの海をわたってさとりの彼岸に至らせる船にたとえる。

出拠とその解説

  • ・この和讃の出拠は、前半二句は龍樹菩薩の『十住毘婆沙論』の「序品」の「生死の苦海、三道に流転す」というご文です。
  • ・後半二句は「易行品」の「かの八道の船に乗じて、よく難度海を度したまふ。みづから度しまたかれを度したまふ。われ自在者を礼したてまつる。」(七祖註釈版19頁)というご文に依っています。
  • ・「易行品」には、不退の位に至る道について「難行道」と「易行道」の二種があることを示されています。そして、根機の劣った者のために「信方便の易行」が説かれています。
  • ・「易行品」の八道とは八正道(註釈版1527頁参照)のことです。阿弥陀如来が八道を修して、私たちを自在に摂化されるのです。
  • ・『教行信証』「総序」にも「難思の弘誓は難度海を度する大船」(註釈版131頁)と示されています。