つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり。
(教文類、註釈版135頁)
現代語訳
つつしんで、浄土真宗すなわち浄土真実の法をうかがうと、如来より二種の相が回向されるのである。一つには、わたしたちが浄土に往生し成仏するという往相が回向されるのであり、二つには、さらに迷いの世界に還って衆生を救うという還相が回向されるのである。往相の回向の中に、真実の教と行と信と証とがある。
(『教行信証(現代語版)9頁』
全体の味わい
「真宗大綱の文」と呼ばれるように、浄土真宗の法義の全体が示されたご文です。浄土へ往生し成仏すること(往相)も、そのさとりの必然として、迷いの世界に還り来て救済の活動をすること(還相)も、すべて阿弥陀如来の回向によるものであることが示されています。
阿弥陀如来の回向は、南無阿弥陀仏という名号となって私たちの上に届いています。そして、私たちに往相と還相という広大な利益を恵もうとはたらかれていることを味わわせていただきましょう。
み教えのポイント
浄土真宗
- ・「浄土真宗」とは、私たちの教団の宗名であるが、それは本来、私たちの信仰の拠り処となる教法そのものを表した言葉である。すなわち、阿弥陀如来より回向される「往相」と「還相」、そしてその「往相」として回向される教・行・信・証の四法という二回向四法により成立している教法を表わした言葉である。
- ・教文類の標挙には「大無量寿経」とあるのに続けて、細註には「真実の教」「浄土真宗」とある。これもやはり「浄土真宗」が教法そのものをあらわす言葉として用いられているもので、『無量寿経』に説かれる教えの内容が「浄土真宗」であると示すものである。
如来の回向
- ・阿弥陀如来の回向には、教・行・信・証の四法を内容とする往相の回向、そして還相の回向があるが、その回向のはたらきは別々に私たちのもとに届いているのではない。つづまるところ南無阿弥陀仏の名号に往相・還相という私たちの救いのすべてを摂め、恵み与えてくださっていると見ることができる。
- ・二回向四法が南無阿弥陀仏による救いに摂まることを親鸞聖人は、『正像末和讃』に、「南無阿弥陀仏の回向の 恩徳広大不思議にて 往相回向の利益には 還相回向に回入せり」(註釈版609頁)と詠われ、『一念多念証文』には「「回向」は、本願の名号をもつて十方の衆生にあたへたまふ御のりなり。」(註釈版678頁)と示されている。
法話作成のヒント
如来の回向をよろこぶ
- ・蓮如上人が「他宗には親のため、またなにのためなんどとて念仏をつかふなり。聖人(親鸞)の御一流には弥陀をたのむが念仏なり」(註釈版1287頁)と示しておられるように、浄土真宗は、私の願いを仏さまに聞いてもらうのではなく、私にかけられている如来の願いがあることを聞いていく教えです。
- ・阿弥陀如来は二回向四法のすべてを南無阿弥陀仏に摂めて私たちに回向しておられます。往生成仏に必要な修行も、私たちを信ぜしめるはたらきまで如来の側で成就されました。さとりに役立つものを何一つもたない私たちを救うための如来の回向の広大な恩徳をよろこばせていただきましょう。
二回向の意義を味わう
- ・浄土に往生し仏となること(往相)は、私の苦悩が根本から解決されることです。ただし仏となることは、私だけの救いで完結してしまうことではありません。
- ・私が浄土で仏となることは、ただちに迷いの世界に還り来て、人々を真実の教えへと導いていく大悲利他の活動(還相)をおこなっていくことでもあります。
- ・南無阿弥陀仏の救いのなかに、往相と還相の二つの回向があることの意味を、味わわせていただきましょう。
語釈
- 往相
往生浄土の相状の意。迷いの境界である穢土から、清浄なさとりの境界である浄土へ生まれていくありさま。 - 還相
還来穢国の相状の意。往生成仏の証果を開いた者が、再び穢土に還り来て、他の衆生を教化して仏道へ向かわせるすがた。なお、親鸞聖人は還相が菩薩のすがたをとることについて、浄土で仏となったものが利他の活動を行うため仮に菩薩の姿を示現した従果還因の相状と理解されている。 - 回向
回転趣向の意味で、回はめぐらすこと、向はさしむけること。いまは阿弥陀如来が本願力をもって、衆生に往相・還相を恵み与えて救済するはたらきをいう。 - 教行信証
教とは『仏説無量寿経』、行とは南無阿弥陀仏、信とは無疑の信心、証とは滅度である。
出拠とその解説
- ・「往相」・「還相」という言葉の出拠は、曇鸞大師の『往生論註』に、「「回向」に二種の相あり。一には往相、二には還相なり。」(七祖註釈版107頁)と示されているご文です。