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讃題の例と解説 / 解説6

釈迦牟尼仏、よく甚難希有の事をなして、よく娑婆国土の五濁悪世、劫濁・見濁・煩悩濁・衆生濁・命濁のなかにおいて、阿耨多羅三藐三菩提を得て、もろもろの衆生のために、この一切世間難信の法を説きたまふ。

(仏説阿弥陀経、註釈版128頁)

現代語訳

釈迦牟尼仏は、世にもまれな難しく尊い行を成しとげられた。娑婆世界はさまざまな濁りに満ちていて、汚れきった時代の中、思想は乱れ、煩悩は激しくさかんであり、人々は悪事を犯すばかりで、その寿命はしだいに短くなる。そのような中にありながら、この上ないさとりを開いて、人々のためにすべての世に超えすぐれた信じがたいほどの尊い教えをお説きになったことである。

(『浄土三部経(現代語版)』229頁)

全体の味わい

あらゆる諸仏が、お釈迦さまが五濁悪世の娑婆世界のなかで難信の法を説かれたことを、甚深希有の事であると誉め讃えられているご文です。

五濁悪世のお言葉のなかに私たちの姿をかえりみるとともに、私たちのはからいでは決して信じることができなかったはずの尊い教えに、如来のはからいによっていま出あっていることを喜ばせていただきましょう。

み教えのポイント

五濁悪世

  • ・娑婆世界が五濁悪世であると示されている。それは私たちの住むこの世界である。そして、社会や世相の悪いことを言うだけのものではなく、私たち自身の姿が示された言葉と見ることができる。
  • ・親鸞聖人は、五濁悪世のなかの衆生の姿を『浄土和讃』「弥陀経讃」に「濁悪邪見の衆生」(註釈版571頁)と言われ、「正信偈」には「邪見驕慢の悪衆生」(註釈版204頁)と示されている。邪見とは因果の道理をわきまえないこと、驕慢とは自身の力に慢心することである。

難信の法

  • ・難信の法とは、自力の心すなわち自らのはからいの心では決して信じることのできない法門の意で、この経(『阿弥陀経』)に説かれた念仏往生の教えを指す。この教えは、世間の常識的な道理を超越しているから、自力にとらわれている心では、はなはだ信じ難い法であるということ。
  • ・世間の常識的な道理を超越した法であり、自力の心では信じ難い法であるということは、一面においては法の尊さ、気高さをあらわしている。

法話作成のヒント

私たちの姿をかえりみる

  • ・五濁(劫濁・見濁・煩悩濁・衆生濁・命濁)という濁りのすがたを通して、私たち自身をふり返りましょう。
  • ・五濁悪世のお言葉を、自力のはからいにしがみつき、他力の救いに背を向ける私たちのありようを示されたお言葉といただくこともできるでしょう。

「難信の法」は勧信誡疑といただく

  • ・難信の法とは、自力のはからいでは信じ難い法であるという意味ですから、このお言葉は釈尊そして諸仏による勧信誡疑のお言葉、すなわち「本願を疑う自力のはからいを捨てよ(誡疑)、他力にまかせよ(勧信)」とのお示しといただくことができます。

信心を恵まれた不思議をよろこぶ

  • ・他力の信心は、私のはからいで得られるものではありません。いま信心を恵まれている不思議をよろこびましょう。
  • ・信心をよろこぶ身となるまで、遠い過去世から絶え間なく如来のお育てが届いていたことを味わいましょう。

語釈

  1. 釈迦牟尼仏
    梵語シャーキヤムニ・ブッダの音写。釈迦は種族の名、牟尼は聖者の意で、釈迦族の聖者ということ。釈尊のこと。
  2. 甚難希有の事
    非常に難しく、世にまれなこと。
  3. 娑婆世界
    娑婆は梵語サハーの音写。忍土、堪忍土、忍界などと漢訳される。釈尊が教化するこの世界のこと。この土の衆生は、内にはもろもろの苦悩を忍んで受け、外には寒・暑・風・雨などの苦悩を忍んで受け、これらを堪え忍ばねばならないから、忍土・忍界などという。また、聖者も疲労や倦怠を忍んで教化するから、この土を堪忍土という。
  4. 五濁
    悪世においてあらわれる避けがたい五種のけがれのこと。(1)劫濁。時代のけがれ。飢饉や疫病、戦争などの社会悪が増大すること。(2)見濁。思想の乱れ。邪悪な思想、見解がはびこること。(3)煩悩濁。貪・瞋・痴等の煩悩が盛んになること。(4)衆生濁。衆生の資質が低下し、十悪をほしいままにすること。(5)命濁。衆生の寿命が次第に短くなること。
  5. 阿耨多羅三藐三菩提
    梵語アヌッタラ・サンヤック・サンボーディの音写。阿耨菩提と略され、無上正等覚・無上正真道・無上正遍知などと漢訳する。この上ない仏のさとり。