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讃題の例と解説 / 解説9

無明長夜の灯炬なり 智眼くらしとかなしむな

生死大海の船筏なり 罪障おもしとなげかざれ

(正像末和讃、註釈版p.606)

現代語訳

阿弥陀仏の本願は、無明煩悩の暗く長い闇を照らす大きな灯火である。智慧の眼が暗く閉ざされているといって悲しむことはない。そのはたらきは迷いの大海を渡す乗りものである。罪のさわりが重いといって嘆くことはない。

(『三帖和讃(現代語版)』151頁)

全体の味わい

阿弥陀如来の本願は、煩悩にまみれ迷いを深める悪い行いしかできないような者をこそ、必ず救おうとされるはたらきです。その必らず救うというはたらきにすでに出遇っているのですから、智慧の眼が開けないから証ることができないと悲しんだり、浄土往生の障りとなる悪業が深いから救われないと嘆くことはないと、親鸞聖人は力強く詠んでおられます。

み教えのポイント

あらゆる者を常に照らす大きなる光明

  • ・阿弥陀如来の本願は、「灯炬」と例えられているように、常に私を照らし導いて下さる大いなる光明である。その光明は、「智眼くらし」と表現される、煩悩に眼をさえぎられた者をも照らし、浄土往生へと導いて下さる。

あらゆる者を必ず救うはたらき

  • ・阿弥陀如来の本願は、「船筏」と例えられているように、あらゆる者を浄土へ往生させるために、生死輪廻の迷いの世界を乗り越えさせて下さるはたらきである。「罪障おもし」と表現されるような、罪業が深く、浄土へ生まれる障りが多い者であっても、本願のはたらきによって、必ず救って下さる。

法話作成のヒント

本願の特徴について味わいましょう

  • ・阿弥陀如来の本願は、迷いの凡夫をまさしき救いの対象とされています。
  • ・「灯」は「常のともしび」、「炬」は「大きなるともしび」という意味を持っています。「灯炬」とは、常に私を照らして下さる大きなるともしびである本願を喩えたものです。
  • ・「船筏」とは、『教行信証』「総序」に「難思の弘誓は難度海を度する大船」(註釈版131頁)と示されるように、超えることの難しい迷いの世界を必ず超えさせるという本願を「船」と「筏」に喩えられたものです。
  • ・「灯炬」と表現されるような、自らを照らし導いて下さるはたらきとして本願を受け止めた体験や、「船筏」と表現されるような、安心して人生を歩むことのできる支えとして本願を受け止めた体験をもとにして味わってみましょう。

凡夫の姿について見つめる

  • ・本願の救いにあずかったからといって、煩悩が消えてなくなるわけではありません。むしろ、「智眼くらし」「罪障おもし」といわれる煩悩成就の身の上が、より一層あきらかに知らされます。本願に出遇うことによって、あきらかになってきた、凡夫の姿について改めて見つめてみましょう。

語釈

  1. 無明
    愚痴とも無知ともいう。真理に暗く、もののあるがままのありよう(実相)に背いた見解をいう。すべての煩悩の根本。迷いの根源。(註釈版1544頁)
  2. 無明長夜の灯炬なり
    異本「文明本」には「常のともしびを弥陀の本願にたとへまうすなり。常のともしびを灯といふ。大きなるともしびを炬といふ」という左訓が付され、灯炬の具体的な特徴が示される。
  3. 智眼
    智慧の眼。肉眼に対する。(註釈版、607頁)
  4. 船筏
    「顕智本」には「弥陀の願をふね、いかだにたとへたるなり」という左訓が付されている。