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例話の紹介 / (6)木の火ばしのたとえ
菩薩願ずらく、おのれが智慧の火をもつて一切衆生の煩悩の草木を焼かんと、もし一衆生として成仏せざることあらば、われ仏にならじと。しかるに衆生いまだことごとく成仏せざるに、菩薩すでにみづから成仏せんは、たとへば火掭して、一切の草木を擿(擿の字、排ひ除くなり)んで焼きて尽さしめんと欲するに、草木いまだ尽きざるに、火掭すでに尽きんがごとし。

(『教行信証』、註釈版326頁、『往生論註』引用文)

【概要】

法蔵菩薩は、一切衆生が成仏しなければご自身も成仏しないと誓われましたが、すでに大願を成就されて成仏されておいでです。このことを、木の火ばしを用いて草木を焼き尽くそうすると、草木を摘んだりかき回したりしているうちに、草木より火ばしの方が先に燃え尽きてしまうことによってたとえています。

【解説】

  • ・菩薩は智慧によって衆生の煩悩を断じてくださいます。このことについて、衆生の煩悩を草木、菩薩を木の火ばし、智慧を火にたとえられています。
  • ・法蔵菩薩の本願には、自らの正覚と衆生の往生を「もし生まれることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません(若不生者不取正覚)」と誓われています。このことについて、いまだ成仏していない者がいるにもかかわらず、法蔵菩薩が十劫の昔に成仏されていることが矛盾しているように思うかも知れません。
  • ・法蔵菩薩は、一切衆生を成仏させようとするおこころによって、かえって一切衆生より先に成仏されたのです。

【補足】

  • ・掭とは、木の枝という意味ですから、火掭は木の火ばしのことを意味しています。
  • ・木の火ばしが焼けきって火そのものになったという様子から、法蔵菩薩は自らの智慧の発露によって、智慧そのものの阿弥陀如来になられたと味わうことができます。
  • ・本願のなかに法蔵菩薩の正覚と一切衆生の往生が一緒に説かれ十劫の昔に成仏されているからといって、私たちがすでに往生しているという理解は成り立ちません。

※参考(現代語訳)

菩薩が自分の智慧の火ですべての衆生の煩悩の草木を焼こうとし、もし一人でも成仏しないようなことがあれば、自分は仏になるまいと願う。ところが、すべての衆生が成仏したわけではないのに、菩薩自身がさきに成仏してしまう。それはたとえば、木の火ばしですべての草木を摘み集めて焼き尽くそうとしたところ、草木がまだ焼けきらないうちに、木の火ばし自体がさきに焼けてしまうようなものである。

(『教行信証(現代語版)』155頁)