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例話の紹介 / (4)心の田を耕す
釈尊がある村で托鉢をしている時、バーラドヴァージャというバラモンが収穫した食物を配っているところに出会いました。
釈尊が食を受けるため、その傍らに立たれると、バーラドヴァージャは釈尊に言います。「わたしは今、こうして田を耕して種をまいている。田を耕して種をまいたあとで食べるのです。あなたも同じように田を耕し種をまいたあとで食べなさい」。
釈尊は答えます。「私もまた田を耕し種をまいています。耕して種をまいてから食べるのです」。
しかし男からすればどう見ても釈尊は田を耕しているようには見えません。そこで男はふたたび釈尊にたずねます。「田を耕す道具もなく、牛もいないのに、どうやって田を耕しているというのですか。私に分かるように話してください」。
釈尊は答えました。
私にとっては、信仰が種である。
苦行が雨である。
智慧がわが軛(くびき)と鋤(すき)とである。
慚(はじること)が鋤棒である。
心が縛る縄である。
気を落ち着けることがわが鋤先と突棒とである。
わたしは真実をまもることを草刈りとしている。
努力がわが牛であり、安穏の境地に運んでくれる。
退くことなく進み、そこに至ったならば、憂えることがない。
この耕作はこのようになされ、甘露の果実をもたらす。
この耕作が終わったならば、あらゆる苦悩から解き放たれる。

その時、バーラドヴァージャは釈尊に言いました。「釈尊、あなたは耕作者です。釈尊は甘露の果実(みのり)をもたらす耕作をなさるのですから」。

【解説】

  • ・毎日の仕事や家事は私たちが生きていくために必要なことです。その代表として「田を耕す」ことが挙げられています。しかし、物質的に豊かな生活をすることだけが人生のすべてではありません。ここでは「田を耕す」ことになぞらえて、あらゆる苦悩を離れたさとりの世界(甘露の果実)を得るための道を歩むことの大切さが説かれています。
  • ・毎日の忙しさのなかで、心が固く冷たい土のようになってはいないでしょうか。釈尊の言われる「田を耕す」とは「心の田を耕す」ことであると言えます。それは私たちにとっては、自らを掘り返して仏法を聞いていくことであり、仏さまの光に照らされながら柔らかで温かな心を養っていくことであると味わうことができます。

【補足】

  • ・この話はパーリ語で書かれた『スッタニパータ』や『サンユッタニカーヤ』に収載されています。『スッタニパータ』は中村元訳『ブッダのことば』(岩波文庫、23~27頁)に「田を耕すバーラドヴァージャ」として日本語訳されています。『サンユッタニカーヤ』の日本語訳は『南伝大蔵経』第12巻(294~297頁)にあります。
  • ・漢訳仏典では『雑阿含経』巻第4(大正蔵2、27頁上~中)に収載されています。