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例話の紹介 / (1)毒箭のたとえ

【概要】

マールンクヤプトラという弟子が釈尊に対して、「世界は未来永劫に存在するのでしょうか」「世界には果てがあるのでしょうか」「如来は死後も存在するのでしょうか」などの疑問をなげかけました。
そして、これらの問いに答えてくれないならば、自分は還俗しますといいました。
これに対して、釈尊は次のようにお答えになります。

「あなたの疑問に対する答えを求めるのであれば、あなたはその答えを得る前に命が尽きてしまうでしょう。たとえば、ある人が毒矢で射られたので、みんなが心配して急いで医者を呼んできて、医者がまず矢を抜こうとしたら、その男が叫んだ。『この矢はどういう人が射たのか、どんな氏名の人か、背の高い人か低い人か、町の人か村の人か、これらのことがわかるまではこの矢を抜いてはならない。私はまずそれを知りたい』というのならば、その男の命はなくなってしまうでしょう。あなたの問いはそれと同じなのです。もし世界は永遠に存在するとかしないとか答えることができる人がいたとしても、その人にも生老病死の苦しみがあり、さまざまな憂いや悩みがあるのです。あなたの問いは、人間の本当の苦しみや悩みとは関係のないことです。
わたしは説くべきことのみを説きます」

【解説】

  • ・私たちが本当に問題としなければならないことを後回しにして、他の問題に目を向けていることを戒め、何が最も大切かを示しています。
  • ・私たち人間にとって本当の苦は、生老病死です。
    それを乗り越えることが仏教の目的です。
    これを親鸞聖人は「生死いづべき道」といいました。
    蓮如上人も、後生の一大事をこころにかけなさいとおっしゃられています。
  • ・ところが、私たちは、日常において、つい自分の死をどこかに追いやって生活しがちです。
    私たちは、阿弥陀さまのお心を知らずに、逃げ回ってばかりいるのです。
    そうやって真実から背いて生きている私たちのような凡夫を追いかけて、摂め取り、決して捨てることがない存在が、阿弥陀如来といわれるのです。

【補足】

  • ・この話は『中阿含経』巻第60「箭喩経」(大正蔵1、804頁上~805頁下)
    (国訳一切経6、384頁~389頁)に説かれています。
  • ・釈尊は法と相応しない問題や、さとりに趣かない問題については、説くべきことではないから、そのことは説かないと記されています。
  • ・釈尊は、四聖諦についてもっぱら説くと記されています。
    なぜなら法と相応し、智・覚・涅槃に趣く問題であり、これこそ説くべきことであるので、そのことを説くと述べられています。