【概要】
鶯の声なかりせば雪消えぬ
山里いかで春を知らまし
天文学の知識もなくカレンダーもない奥山の住居であれば、何時となく雪はふり積もって、冬とも春とも知ることはできないけれども、木々の間に鶯の声を聞いて初めて春の訪れを知ることができる。鶯の声なければどうして春を知ることができようぞと詠われたものである。
とても知られぬことであるのに知られたというこころ、今なぞらえて頂いてみると、三毒煩悩の雪に覆われて人生の行き先も知らずにいるこの私を、聞かせて救うと誓われたのが超世の本願と申すもの。迷いと悟り、進みゆく方向もわからぬ者に、我れにまかせよ必ず救うと、南無阿弥陀仏の声聞こえ、雪の中にありながら、確かな救いの春であったことを知らせていただくのである。
【解説】
- ・煩悩に覆われ人生の行き先も知らずにいる私たちに向かって、如来は南無阿弥陀仏のよび声となって確かな救いを告げられていることをあらわす例話です。
- ・この歌は『拾遺和歌集』春の部に、「天暦十年三月二十九日内裏歌合」において、中納言朝忠が詠んだ歌として収録されています。
- ・田淵静縁『布教大辞典』(法蔵館)より。