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2022年度一緒に学ぼう 第6回「正信偈」⑥ 講座の内容

「一緒に学ぼう西本願寺のおつとめ」は、聖典に説かれている内容を学び、一緒に声を出して唱え方を学ぶ講座です。
今年度は、「正信偈」を中心に学びます。講座は「座学」と「実践」の二部に分かれ、前半の「座学」の時間は、総合研究所の研究職員が、「正信偈」に説かれている教えの内容について解説し、後半の「実践」の時間は、おつとめを指導する専門講師が、合掌礼拝などの作法や「正信偈」のとなえ方についてやさしくお伝えします。

第6回「念仏和讃」⑥

日時 2022(令和4)年11月8日(火) 10:00~11:30
会場 Zoom(オンライン開催)
講師 座学 西村慶哉(総合研究所研究助手)
実践 桃園裕成(勤式指導所主任)
人数 41名

当日の内容

【前回質問への回答】
 前回のアンケートにて

「天親菩薩の論を註解して」と読むなら「天親菩薩論註解」ではなく「註解天親菩薩論」ではないのか?

というご質問をいただきましたので、講座内で回答させていただきました。

 ご指摘の通り、漢文のルールに則れば「註解天親菩薩論」と書くのが一般的です。その真意は親鸞聖人にお尋ねしなければ詳らかとはなりませんが、以下の二つのようなことが想像されます。

(1)和製漢文(変体漢文)

 和製漢文とは、日本語を漢文に倣って主に漢字だけでつづった文を言います。日本の場合、漢文には読み方の指示(訓点)が付されていることがあります。漢文として正規の用法ではない場合があったとしても、筆者が読み方を指示している以上は、そちらが優先されます。今の「正信偈」の文も、親鸞聖人による訓点が付されており、それに従えば「天親菩薩の論、註解して」と読みます。このような和製漢文は親鸞聖人の頃でも多く用いられており、同時代でいえば浄土宗鎮西義の弁長上人や良忠上人にも見ることができます。

(2)偈文という形式

 また、「正信偈」は散文ではなく、偈文という文字数や音韻を考慮しなければならない形式であることも重要な視点です。また日本の詩でも倒置法など、言葉を強調するときにあえて語順を替えることがあります。

 そのような偈文という形式を考えた際に、音韻や強調のために語順をあえて替えているということが考えられます。

【座学の内容】

 第6回目の座学では『正信偈』の中、「依釈段」道綽章・善導章にあたる「道綽決聖道難証」~「即証法性之常楽」(『日常勤行聖典』27頁~30頁)までの内容について学びました。

  1.道綽禅師の教え

  「道綽決聖道難証」~「至安養界証妙果」までは道綽禅師のご功績について示される一段です。
 道綽禅師は中国の隋唐代に活躍されました。もともとは『涅槃経』という経典に精通しておりましたが、曇鸞大師のご功績の書かれた碑文を読み、感銘を受けて浄土教に帰入されました。
 道綽禅師の教えの中で特筆すべきは「道綽決聖道難証 唯明浄土可通入」と示されるように、お釈迦さまの教えを聖道門と浄土門の二門(聖浄二門)に分類されたことです。そして、その中でも浄土門を「像末法滅同悲引」すなわちあらゆる時代のものが等しく救われていく法であると勧められたことです。
 聖道門とは「此土入聖」の教えです。それは、この世で修行を重ねて徳を積むことでさとりを得ようとする法です。一方の浄土門とは「彼土得証」の教えです。それは、阿弥陀さまのお浄土に生まれさせていただき、さとりを得させていただくという法です。
 ただし道綽禅師は「聖道難証」とあるように、聖道門ではさとることは難しいと示されます。それは、今の世が末法だからです。
 末法とは、当時中国で流行した三時思想という時代区分の一つです。三時思想ではお釈迦さま入滅後、仏教が次第に衰退していく様子を正法・像法・末法という三つの時代区分で示します。その中の末法とは、正しい教えこそ残っているものの、それを正しく行じることのできる者も、さとりを得ることができる者も居なくなってしまった時代を指します。
 このような末法の世では聖道門の修行をしてもさとることは難しい。そこで浄土門によって阿弥陀さまのお浄土へと生まれ、そこでさとりを得ていくべきとお勧めされているのです。阿弥陀さまはあらゆる衆生を救うとの願いを完成された仏さまです。ですから、どのような時代の者であっても分け隔てなく救いにあずかることができます。そこでいま、「像末法滅同悲引」と、あらゆる時代を超えて凡夫をお救いいただく阿弥陀さまのお慈悲が讃えられているのです。

  2.善導大師の教え

  「善導独明仏正意」~「即証法性之常楽」までは、善導大師のご功績について示された一段です。今回は「独明仏正意」というご文に注目して学んでいきます。
 善導大師は道綽禅師の面授の弟子です。大師ご在世の頃は、『仏説観無量寿経』(『観経』)が大変注目されておりました。そこで、中国古今の諸師がたが『観経』をさまざまに解釈しておられました。しかし、それらは『観経』を説かれたお釈迦さまの正意にかなうものではなく、善導大師だけが一人、この『観経』の真意を明らかにされたのだと親鸞聖人はここで讃えておられます。善導大師が古今の諸師に対し、『観経』をどのように解釈すべきか制定されたことを「古今楷定」とも呼びます。一例を挙げてみましょう。
 『観経』では悪人が南無阿弥陀仏の念仏を称えることで阿弥陀さまのお浄土へと生まれることができると説かれています。このことについて諸師がたは、「悪人が生まれることができるのだから程度の低い浄土だ」や「往生することができるがそれには長い時間が必要だ」などと解釈されていました。しかし、善導大師はそれらの解釈に対し、「南無阿弥陀仏」の名号一つにわれわれが往生できる用意はすべてそなわっており、われわれはお念仏によってすぐれたお浄土へとすみやかに生まれことができるのだと『観経』の真意を明かされています。このような善導大師のお徳を讃えていま「善導独名仏正意」と親鸞聖人はお示しになられています。

以上のことを、座学の時間で学びました。

【実践の内容】

 第6回目の実践の時間では、今までのまとめとして通しで皆さんと「正信偈和讃」をお称えし、重要なポイントを復習いたしました。なお、文中に( )で出される算用数字は、『日常勤行聖典』のページ数を表しています。

1.作法について(まとめ)

 ・仏壇前に座る前には服装を整え、心を落ち着かせる。式章を持っている方はかける。念数を左手に持つ。

 ・合掌は手を四十五度、体の中心線に。礼拝の角度は四十五度。手が九十度になっているように。

 ・お経は両手で持っていただく。その時、頭をやや前に傾ける。そのあと、おもむろに胸の位置まで経本をおろす。そして右手で経本をひらく。

 ・最初の鏧は二声。

 ・鏧は大きさで打ち方が異なる。大きな鏧は外側を叩くが、家庭にあるような大きさのものは内側からたたく。

 ・打った後の撥は、もどさず鏧の横か経卓に置く。鏧の余韻を残す。

 ・ご文を間違えないように読むことを心がける。

 ・読み終えた後は、右手で経本を閉じ、同じようにいただく。合掌礼拝して、撥を元に戻す。

2.『正信偈』まとめ

 ・草譜は四句下がり、行譜は四句下がりをしない。

 ・「引」の部分は二拍伸ばす。

 ・「是人名分陀利華-弥陀仏本願念仏」(15)と「-」のある部分は一息でとなえる。

 ・「至安養界証妙果」(28)は「証」あたりから遅くする。一旦止まるが鏧を打たない。

 ・二字目の「う」は、強調しなくていいが発音することを意識する。長音(たとえば「ぞう」が「ぞー」など)にならない。

 ・「善導~」(29)からは一音あがる。

 ・「慶喜一念」の「一念」は「引」なので、1.5拍+0.5拍のテンポなので「い/ち/ね/ん」と均等に割らないように注意する。

 ・最後の「高僧説」(35)をとなえ終わるころに鏧を打つ。

3.『念仏和讃』まとめ

 ・初重念仏(36)は「レ」の音から
 ・二重念仏(40)からは「ミ」の音に上がる
 ・三重念仏(43)からは「ラ」の音に上がる

4.回向句まとめ

 ・回向句(45)は二重「ミ」の音に下がる

 ・回向句からは一つずつ文字を拾うように発音。拍感が変わる。終わりに向かうようゆっくりと

 ・最後の「安楽国」は落音。鏧は「楽(らっ)」で一打、「国(こく)」の始めで小さく一打、そして最後に一打。

 以上のことを実践の時間では学びました。

 次回より、いよいよ「新制 御本典作法」の「正信偈」について学んでいきます。ぜひこの機会にご参加ください。