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コラム伝道 / 「そこにある一礼」

このコラムを読まれている方の多くは、山門や本堂に入るときには一礼されているのではないでしょうか。

では、どうして一礼するのかを考えたことがありますか?

この一礼について言葉で説明するならば、仏徳讃嘆、救われがたい私をお救いくださる阿弥陀さまに対して感謝の思いをわが身で表すのがこの一礼、ということになるのでしょう。

しかし、私自身のことを思い返してみますと、この一礼の意味を理解するよりも前、なにもわからない子どもの頃から、気づけば、なんとなく山門をくぐるとき、本堂に入るときには一礼していました。子ども心に、聖なる空間のもつ厳かな雰囲気を感じ取り、頭を下げるようになったということもあるかもしれません。ですが、それよりも、まわりの大人やみんながしているから自分もという、なんとなくの一礼が次第に身についていったのだと思います。

そして、いつしかそれが当たり前のこととなり、今度は山門や本堂で一礼しないことに違和感を覚えたり、気持ち悪いといった感覚が身についてきました。

こうして見ると、この一礼は頭で理解することに先立って、まず体で覚えて、それが身に染みついてきたというように思うのです。

ひるがえって伝道を考えるとき、言葉で伝えること、頭で理解してもらうことも大切ですが、体で表し、身につけてもらうことも同じように大切な要素であるといえるでしょう。

言葉で表現しにくいものは理解することも難しく、今日の私たちは、つい軽視してしまいがちです。しかし、この身についた行為、言葉で説明しにくいなんとなくの行為を視野に入れた広い立場から伝道をとらえ直していく必要があるのではないでしょうか。

2010/02 教学伝道研究センター研究員 長岡岳澄