宗門関係学校の相愛学園につとめていたことがある。相愛では、生徒は毎日、礼拝をする。といっても、「正信偈和讃」と「ご文章」というわけにはいかない。「正信偈和讃」の代わりに、「真宗宗歌」「恩徳讃」などの讃歌を、「ご文章」の代わりに、聖句を用いた。この聖句は六十二あり、一月で一回りするようになっている。内容的には、真宗の教えばかりではなく、生徒の生きる力になる言葉を選んである。たとえば、自己中心の心に気づいて欲しいという願いから、下記の言葉ができた。
自分を中心に世の中はまわっていないのに
自分を中心にしか考えられないのが私である
自分に都合のいい人を良い人といい
自分に都合のわるい人を悪い人というのが私である
自分の判断と正しい判断とは必ずしも一致しないのだ
自分を見つめるもう一人の自分をもちたい
このように、誰が読んでも意味の分かる言葉を集めて、毎日繰り返し、中学からの生徒は六年間読み続ける。読み続けるから、生徒はほぼすべてを憶えてしまう。
生徒は中学・高校の間にさまざまな経験をする。楽しいこともあれば、つらいこともある。たとえば、確かに自分中心にしか物事を感じていないと実感すると、上の聖句を熱心に読みはじめるようである。また、ある生徒が言っていたことであるが、自分の体験と一致する言葉を一つ見つけると、他の言葉も間違いないと思えてきて、真剣に読み始めたそうである。このように繰り返し読むなかで、生徒の体験や心の変化とが合わさって、聖句の教えることを身につけることになる。
今は高校生、中学生の話をしたが、成人向けの聖句集があっても、「継続は力なり」というように、繰り返し読めば同様の成果が得られると考えている。ただし、聖句は、生活に密着したもので、分かりやすく、真宗の立場からみて、意義深いことが大切である。また、聖句を日めくりカレンダーにして、毎日繰り返しながめていても、言葉に納得させられたり、励まされたり、心の依り所になったりすると思われる。