私が布教使に任用されて間もない頃の事です。ご法話の際に大変緊張してしまい、頭の中が真っ白になってしまうことがあった私は、祖父にどうしたら緊張しないかと尋ねた事がありました。祖父は仕事上、よく人前で話をする機会があったので、何かコツを知っているのではないかと思ったのです。しかし返ってきた答えは意外なものでありました。
「確かに人前は緊張してしまう。しかし、『緊張は美しい』という言葉が昔からあるよ。」
私はその言葉にはっとしました。祖父は、緊張感の中に一生懸命話す姿は、聞き手には大変美しく映ること、そして実際に話をする前に、どれだけ緊張感をもって準備をしてきたかが大切であることを話してくれました。
話をするということだけに限らず、いかなる場面においても緊張は実は大切であることが知らされます。仕事においても、特に人命に関わる仕事などは、普段から緊張感を保つことが重要になってきますし、芸術やスポーツ等では、リラックスと緊張の融合が素晴らしいものを生み出し、人々に感動を与えるのでしょう。
私たちはご法話の場面において、生死を超えていく阿弥陀さまのお救いをお伝えさせていただくわけでありますから、緊張をしなければならないというのが本当は正しいのでしょう。その緊張は如来さまに対するお敬いの心であって、話す姿勢、正しい作法、服装、言葉使いにも表れてくるのではないでしょうか。
緊張してはいけないと思っていた私でしたが、祖父の言葉から緊張には大切な意味があることを知り、かえって肩の力が抜けたような気がしました。これからも「緊張は美しい」の言葉を大事に、お取次ぎをさせていただきたいと思います。