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コラム伝道 / いろいろなお寺

現在、教学伝道研究所の業務として、寺院活動の聞き取りも行っています。これは、これからの寺院の方向性を見出すことを目指し、各地で取り組まれているさまざまな活動を聞き取るというものですが、聞き取りを進めていくなかで、いろいろと気づかされることがあります。

例えば、当たり前だと思っていたお寺の存在といったことがあります。都市開教のお寺では、お寺を建てるまでにさまざまな苦労があり、また、ここにお寺がありますよということを地域の人々に知ってもらうために努力されていることを伺いました。また、鹿児島では、かつて念仏禁制があり、苦難の歴史の上でお寺が建てられていったこと、北海道では、開拓の歴史とともにお寺が建てられていったことを伺いました。そういった話を伺っていくなかで、今ここにあるお寺は、先人達のさまざまな努力の上に成り立っている、それは当たり前ではなく、有り難いことであるということに気づかされました。

私たちは、ともすると自分が生まれ育ったお寺、また、よく知っているお寺の在り方が当たり前で、全国のお寺も同じようなものだと思ってしまうのではないでしょうか。もちろん、親鸞聖人のみ教えをいただいているという点では同じなのですが、み教えをいただき歩んできた歴史・背景はそれぞれに異なり、また、お寺を取り囲む雰囲気もそれぞれに異なります。そして、それはいろいろなお寺の話を聞いていかなければわからないことです。

宗教学者のマックス・ミューラーは、ゲーテの「一つの言語だけを知る者は、少しも言語を知らない」という言葉を受けて、「一つの宗教しか知らない者は、少しも宗教を知らない」と言います。これは、他のものと比較することによって、初めてものごとの本質を知ることができるという意味合いですが、ならば、同じく、一つのお寺しか知らない者は、お寺の本質を知らないということになるのではないでしょうか。他のお寺の在り方、取り組みを知ることによって、ゆかりのお寺の良さ、また、課題といったものを改めて知ることができるのでしょう。

2009/02 教学伝道研究センター研究員 長岡岳澄