ある日、法座を終えて控え室に戻りました際、ご住職に言われた一言。「松岡さんは、ご自分がお話をされている時、お同行が居眠りをされたら腹が立つでしょう」。
私は深く考えず、思ったまま正直に「ええ、まぁ」と答えました。ご住職は「ああ、それではいけません」と、たしなめられました。私は単純に「腹を立てること」そのものについて言われたのだと受け取り、「でも人が話している時に寝るのは失礼ではないか」と内心ムッとしました。
その後、ある大きな苦悩が私を襲いました。睡眠薬のお世話にならなければ夜眠ることもできなくなったのです。そんな苦しみのなか、阿弥陀さまのお話が聴きたくて法座に出かけました。お念仏を称え、布教使さんのお話に耳を傾けているうちに、ついウトウトと居眠りをしてしまいました。目が覚めて、ハッと致しました。夜も眠れなかった私が、阿弥陀さまの前では安らかに眠っていたのです。
私に注意してくださったご住職の真意がその時やっとわかりました。再びご住職にお会いした時そのことを申しますと、ご住職はにっこりと笑われて仰いました。「お寺にお参りをされて聴聞される方のなかには、夜、布団に入っても眠れないほどの苦悩を抱えている方もおられます。そんな方が阿弥陀さまの前で安心の話を聴いているうちに安らかな心になり安らかに居眠りをされる。だとすれば、その方にとって法座は、かけがえのない場所となっていると言えるかもしれませんね」。
法座には様々な方がおられ、一人ひとりがそれぞれの苦悩を抱えて聴聞されておられます。話し手の立場でしか物事を見ていなかったことを知らされた私は、我が身を恥じるとともに、改めて法座という空間のもつ意義を考えさせられた出来事でした。