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例話の紹介 / (8)千歳の闇室
たとへば千歳の闇室に、光もししばらく至れば、すなはち明朗なるがごとし。闇、あに室にあること千歳にして去らじといふことを得んや。

(『教行信証』、註釈版299頁、『往生論註』引用文)

【概要】

たとえば千年もの間、一度も光の入ったことのない闇に閉ざされた部屋があったとします。この部屋に少しでも光が入れば、たちまちに闇は破られ明るくなります。千年もの間、闇に閉ざされていたからといって、その暗闇が光を遮ることはありません。同じように、迷いの闇は真実の光によって、たちまちに破られるのです。

【解説】

  • ・五逆や十悪の悪業を行なう無明煩悩を「闇」に、悪業を重ねる迷いの凡夫を「室」に、その凡夫が悪業を犯し続けてきた時間の長さを「千歳」にたとえています。また、念仏を「光」にたとえています。
  • ・無明煩悩を闇として自ら知ることのできない者のことを凡夫といいます。空中に舞う埃は、光に照らされることで、初めてはっきりとその存在を知ることができます。同じように、私自身の煩悩は、阿弥陀仏の光明に照らされることで、その存在をはっきりと知ることができるのです。
  • ・凡夫の悪業と十声の念仏とを比べますと、世間の常識では、わずか十回ばかりの念仏よりも、長い間犯し続けてきた多くの悪業の力の方が強いように思われます。しかしながら、両者の行いを比べますと、虚仮の心によって生じる悪業よりも、阿弥陀仏の真実の心によって生ぜしめられる念仏の方が強い力を持っているのです。つまり、地獄に引く悪業の力よりも、浄土へと引く念仏の力の方が、比較にならないほど強いのです。

【補足】

  • ・「千歳の闇室」は、曇鸞大師の『往生論註』に説かれる「八番問答」の第六番目の問答にでてくるたとえです。
  • ・本願には、「唯除五逆誹謗正法」と誓われ、一方、『観無量寿経』には、五逆・十悪の罪を犯してきたものが、臨終の十声の念仏によって必ず浄土へ往生する身に定まると説かれています。これらの相違を矛盾なく解釈したのが「八番問答」です。
  • ・親鸞聖人は阿弥陀仏が凡夫の闇を破って下さることについて、『浄土和讃』に「仏光照曜最第一 光炎王仏となづけたり 三塗の黒闇ひらくなり 大応供を帰命せよ」(註釈版558頁)とご讃嘆されています。「三塗」とは、地獄・餓鬼・畜生の三悪道(三悪趣)のことです。