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葬式仏教の誕生 中世の仏教革命
書評
  • 松尾 剛次 (まつお けんじ)
  • 出版社・取扱者 : 平凡社(平凡社新書)
  • 発行年月 : 2011年8月10日
  • 本体価格 : 本体700円+税

はじめに
第一章 現代の葬式事情
第二章 風葬・遺棄葬の日本古代
第三章 仏教式の葬送を望む人々
第四章 石造の墓はいつから建てられたか
第五章 葬式仏教の確立
終章 葬式仏教から生活仏教へ
あとがき
参考文献

仏教寺院にとって葬儀は、現に決定的ななりわいであるにもかかわらず、「葬式仏教」と批判されてきたために、本来の仕事ではないと勝手に決め込んで、その意義を考えずに来たように思う。仏教寺院が葬式をする以上は、当然、葬式と教義とにはどういうつながりがあるのか、考えるべきであるのだが、あえてそれをしないで来たのではないだろうか。

ここにきて、葬式に、自然葬や家族葬、友人葬など大きな変化が見られるようになり、葬式の在り方が問われるようになってきた。そこで、あらためて日本の葬式文化というものを仏教の立場からもしっかりと考えるべきではないかと思う。

その点、この書は時宜を得た労作といってよい。著者も冒頭で「葬礼文化と日本仏教との関係、死体の扱い方の変化、なぜ墓をたてるのか、などに注目しながら、いわゆる『葬式仏教』の成立の意味を再考したい」と述べる。著者は中国・韓国・日本の供養の文化を調査した研究をベースに第一章で「現代の葬式事情」を述べ、火葬が地獄におとす行為というイスラム教徒の葬送観念を無視した日本の対応の問題点を紹介している。そして、外国人を理解し、付き合っていくには宗教面にも注目する必要がある、と述べるが、これはこれからますます重要になる問題であろう。

日本には古くから「穢れ」忌避の思想があり、国家から任命された僧侶(官僧)は穢れをおそれて、死体にかかわる葬式には関与していなかった。が、比叡山の横川の僧、源信和尚のころから、二十五三昧会のような葬送結社が出来始め、親の葬式を望む人と慈悲のため穢れをはばからず葬式を行う僧侶が現れ、やがて、組織として葬送に従事し、教団を形成したのが遁世僧を中心とする鎌倉時代の禅・律・念仏僧であった、という。

特に、法然門下の念仏僧は「往生人に死穢なし」とし、死穢をものともせず、念仏をすすめつつ、葬送に従事し、死体往生観を形成していったという。

12世紀後期から13世紀になると、寺院の近くに墓が作られるようになった。板碑から石造墓へと進化させたのは、弥勒信仰を掲げ、墓所で釈尊入滅から56億7000万年後の弥勒三会(弥勒菩薩による3回の説法)を待つことを勧めた律宗教団の僧侶であったという。その墓はもともと講衆や一族、縁者の惣墓であったが江戸期に家や個人の墓となり、個人の戒名などを記す位牌形の墓となった。

人々の要望に応えて僧侶が葬式をおこなうということは、死体を穢れとみる古来の観念に革命的な転換を与え、民衆にとって仏教を身近なものにした。しかし、江戸期に入ると葬祭を媒介として結ばれた寺院と檀家の関係が制度化され固定化され明治以降もこの寺檀制度が続いたが、その上に胡坐をかいていると言うのが「葬式仏教」批判である。

しかし、著者は、「葬式は人間の根源的な願い」といい、「葬式をきちんと僧侶がとり行なってくれるというのは、一人の人間にとって『誕生』とならぶ『死』という一大画期を荘重かつ厳粛に通過したいという願いに応えている」といいつつも、僧侶が葬式を行わなくても良いわけだから、葬式・法事のみならず、普段の檀家との交流、人々の暮らしに根ざした「生活仏教」へ変わってゆく時に来ていると結んでいる。

仏教が葬式を通して当時の民衆の願いに応えたあり方を原点にかえって確認するとともに現在において、民衆の願いに革命的に応えることが何であるのかを考えるきっかけとなる、という意味で、本書は、一考に値しよう。


評者:田中 教照(武蔵野女子学院学院長、武蔵野大学教授)


掲載日:2011年11月10日