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おてらくご 落語の中の浄土真宗
書評
  • 釈 徹宗 (しゃく てっしゅう)
  • 出版社・取扱者 : 本願寺出版社
  • 発行年月 : 2010年9月15日
  • 本体価格 : 本体1,800円+税

はじめに
I 仏教と芸能
II 説教と落語
III 落語の宗教性
IV 落語の中の浄土真宗
V シンクロする場
先ず−あとがきにかえて
参考文献
現代版絵草紙「お文さん」(絵・中川 学)
定吉とんの「はじめてのお寺DE落語会」レポート(絵・中川 学)
特別付録CDの手引き
節談説教『円融至徳の嘉号』(藤野 宗城)全文
落語『寿限無』(柳家さん喬)全文
落語『お文さん』(笑福亭松喬)より『御文章』五帖第十六通−白骨章−書き下し文・大意

書名は「お寺」と「落語」をつなげた造語だそうである。副題の「落語の中の浄土真宗」がこの著者が意図した本の内容である。落語という日本人にとってきわめて身近な芸能を通して浄土真宗を再発見してみようという企画である。

一般には、落語と浄土真宗が密接な関係にあるとは知られていない。そこを見事につなげて見せたのが本書である。著者は大阪生まれで、幼少より上方落語に傾倒しておられた、ということで、名人といわれた方の落語をよく知っておられるので、臨場感のある表現が随所にみられ、落語のルーツは浄土真宗の説教である、ということが生き生きと語られている。

最初に、この落語を取り上げた理由を「宗教は理念や教義だけでは成立しません」「歌や踊りや語りは大きな要素」といっている。古代社会の宗教儀礼の場からすでに歌舞や演劇が発生。仏教が伝来してからも「伎楽」が行われ、平安時代以降は「踊り念仏」が大きな影響力をもったと。日本人の心情の奥に潜む宗教性を解明してみせる。

次に、「唱導」と呼ばれる語りが浄土仏教を中心に独特の発展を遂げ、節付の説教である「節談説教」が成立するとともに、他方では、その真面目さを揶揄するものとして落語が成立した、という落語のルーツを分かりやすく教えてくれる。そして、説教と落語のクロスロードとして『醒睡笑』があること、著者の安楽庵策伝は僧侶であり、ここに落語の萌芽があるという。

そもそも、上方の落語は辻噺から始まり、江戸落語は小屋で語る形態から始まったのでいろんな面で上方と江戸の作法のちがいがあるという。

「III 落語の宗教性」と「IV 落語の中の浄土真宗」の2章では、前者において、各宗派に関係する落語の代表的なものをとりあげ、後者で、浄土真宗と落語の結びつきを落語の具体例をあげ、教えの観点から解説している。

このなかで興味深いのは上方落語に「南無阿弥陀仏」が多く登場し、江戸は「南無妙法蓮華経」が多くなるということ。この辺のところを生かして、噺家さんも、同じ話を上方と江戸で微妙に違えて話すとのこと、また、信心を取り違えて極端に走り、日常の判断をおかしくしてしまうバカバカしさを嗤うところなどは、説教にも使えそうな話である。

最後に、著者は、「私たちは、物語なしに生きぬくことも死にきることもできないでしょう」といい、「語り手と聞き手とは相互依存関係」、これが「仏教の場」「シンクロする場」という。宗教には、仏と感応道交する場が不可欠であり、儀礼も芸能も究極的には仏とのナラティヴな交流を目指すものといえよう。

落語の宗教性を改めて教えられ、そういう視点であらためて落語を見たくさせる書であった。節談説教と落語の実演CD付。


評者:田中 教照(武蔵野女子学院学院長、武蔵野大学教授)


掲載日:2010年11月10日