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人の心は歩く早さがちょうどいい
書評
  • 酒井 雄哉 (さかい ゆうさい)
  • 出版社・取扱者 : PHP研究所
  • 発行年月 : 2010年5月7日
  • 本体価格 : 本体1,400円+税

第1章 行が教えてくれたこと~二千日回峯行~
第2章 こうして巡礼は始まった~東下り・東北巡礼~
第3章 緑と慈しみを感じて~西国・中国地方巡礼~
第4章 発展する中国を巡礼して垣間見たもの
 ~中国五台山、西安、天台三巡礼~
第5章 ゆっくり歩けば、幸せになれる生き方が見つかる
 ~世界・人生巡礼~

本書の著者は、ご存知の方も多いだろう。天台宗の大阿闍梨、酒井雄哉氏である。比叡山での2度の千日回峯行、その後の日本各地、世界各地を歩かれた巡礼の記録であり、さまざまな体験を通した人生の知恵が語られている。

私も10年以上前になるが、比叡山の飯室谷のお堂で、著者のお話をお聞きする機会を得た。回峯行の途中、自ら死を覚悟して突き立てたという足の親指の刀傷を見せて下さりながら、ざっくばらんにいろんな体験をお話いただいた。

なかでも「人生は自分一人の力ではどうにもならない」と語っておられたのを、印象深く憶えている。回峯行という超人的な荒行をなした行者の口から、こうした言葉が出てきたことに、当時学生であった私は驚きを覚えると同時に、その誠実で飾らない語りぶりに不思議な魅力を感じたのであった。

本書を読むと、そんな著者の生き方には、つねに「歩くこと」が基本に据えられていることが分かる。

歩くと疲れちゃうし、スピード感が違うから、スクーターや車で行ったほうが、早く行けた気がする。……歩かないでいくことは、なんかしら時間を得しちゃったような感じがしているんだな。

でも、人としての原点とか大切なものが、抜け落ちちゃってるんじゃないかなと思うな。原点を持っていれば、自分を見失うこともないし、人生の本線に向かって歩いていける。それを生き方に発展させると、基本に生きるということになるんだ。

(194~195ページ)

そういえば先日、ある脳科学の専門家がこんなことを書かれていた。「心は脳にあるのではない。心は身体や環境に散在するからだ」。身体の感覚を通して学び、身体の運動を通して考えることが、生物の脳の基本であり、人間もまた例外ではないそうだ。

本書には、もちろんそんな脳科学の話は出てこないが、脳を中心とした生き方、効率を重視し、身体性の希薄になりがちな現代人の生き方がはらむ危うさが、著者独自の視点から見据えられている。

歩かなくなると、頭の中でいろんな情報を集めすぎちゃって大変になるんだな。頭の中でごちゃごちゃ考えちゃうと、集めた情報を整理して、「これでいこう」と決めることができなくなってくる。あれもいいな、これも捨てがたいな、ということになって、どうしたらいいかわからなくなるんだな。
(197ページ)

まるで自分のことを言われているようでドキッとした。本書の言葉は、読む者一人一人を生きることの原点へと引き戻してくれるようだ。

そして私にとって本書は、浄土真宗の教えをいただく上にも示唆的であった。「効率よく知識を習得して、もう分かったという学び方になっていないか?」「スピードは遅くとも、日々の歩みを通して学び続けることが人生を生き抜く力となるのではないか?」。奇しくも天台宗の阿闍梨さんから、そんな問いかけをされているように感じられたのである。

そういえば最近歩いていない。少しゆっくりと歩いてみたくなった。


評者:高田 文英(龍谷大学講師)


掲載日:2010年10月12日