- 出版社・取扱者 : 春秋社
- 発行年月 : 2016年1月20日
- 本体価格 : 本体2,200円+税
目 次 |
はじめに 第一章 聖徳太子観の変遷 第二章 誕生と少年時代 第三章 蘇我馬子との共同執政と仏教興隆 第四章 斑鳩移住とその後 第五章 病死、そして残された人々 おわりに 聖徳太子肖像画 聖徳太子関連系図 聖徳太子関連地図 参考文献 あとがき |
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聖徳太子は法隆寺を建立し、『憲法十七条』第二条で「篤く三宝を敬え」と説き、『法華経』『維摩経』『勝鬘経』の註釈『三経義疏(さんぎょうぎしょ)』を著し、「世間虚仮、唯仏是真(世間は虚仮なり、ただ仏のみこれ真なり)」という言葉を残すなど、日本の仏教史上における多大な業績が伝えられる。そのため、聖徳太子は宗派の枠を超えて尊崇されてきた。
浄土真宗も例外ではない。親鸞聖人は、聖徳太子の夢告をきっかけとして、法然聖人の門下となった。さらに、親鸞聖人は聖徳太子を讃える和讃「皇太子聖徳奉讃」を作成され、その中で聖徳太子を「和国の教主」と呼ばれた。
ただ、聖徳太子の実像を探ることは容易ではない。なぜなら、聖徳太子についての資料は、かなり時代を隔てて編纂されたものだからである(最も古い『日本書紀』でも聖徳太子が亡くなった約100年後の成立)。そのため、聖徳太子の事跡を伝えた人々の作為が混入し得るのであり、資料をさまざまに解釈する余地がある(これは聖徳太子に限らず、古代史についてはおおむね当てはまる)。これが、一時期話題となった「聖徳太子はいなかった」という極端な説が唱えられた理由である(現在は採用されなくなったが、かつては親鸞聖人についても「架空の人物だ」という説があった)。なお著者は本書において、「聖徳太子はいなかった」という説の種々の問題点を指摘している。
本書は「同時に十人の話を聞き分けたとか、黒駒に乗って空を駆けて富士山に登ったとかいった伝説化されたあり方でない、実際の太子のあり方」を探る目的で出版された。
著者は、聖徳太子は政治理念を示すために仏教を利用する傾向があったことを明らかにしている。『憲法十七条』や『三経義疏』では、仏・菩薩が衆生を救うことを、君主やそれに準ずる人々が国を治めることに重ねて理解している旨を、本書は述べる。しかも、このような理解の仕方は、日本や中国において「古代の常識だった」と言う。この他にも、聖徳太子は軍事行動に決して消極的ではなく、「中国の南北朝から隋唐にかけては、仏教信仰で知られる皇帝が多数いますが、彼らは対立する国や勢力を叩くことをためらうことはありませんでした。(中略)古代仏教に関して現代風な理解をすべきではありません」と注意を促す。
本書は、聖徳太子がどのように仏教を理解していたかについて、当時の日本や中国・朝鮮半島の仏教の動向にかなり言及している。聖徳太子の実像を知るだけでなく、仏教の歴史を知る上でも有益な一冊である。