目 次 |
第一章 妙好人とは 第二章 親鸞聖人における信心とその利益 第三章 妙好人における信心とその利益 あとがき |
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妙好人(みょうこうにん)とは「在俗の篤信者」すなわち、在家者(僧侶ではない仏教徒)で念仏信仰に篤い人物を指す。江戸中期から明治初期にかけて、妙好人の伝記が編まれ、多くの妙好人が知られるようになった。
妙好人は、不遇に遭ってもそれを嘆くだけで終わらず、肯定的に受け止める見方を併せ持っていた。一例をあげると、江戸時代の大和国(奈良県)の妙好人、清九郎(せいくろう)はある時、自宅を泥棒に入られた。ところが清九郎は「さぞかし不自由をしているであろうに」と泥棒に同情し、さらに「お慈悲のおかげで盗み心も起こらず、かえって盗まれる身になったということは有り難いことです。もしこの清九郎が五匁(もんめ)、十匁でも人のものを盗んだと評判になれば、私はもちろん、同行の顔まで汚し、再び同行の仲間入りはできません。盗まれたこと自体、油断があったといえましょうが、私の恥になることでもなく同行の顔を汚すことにもなりませんから、これほど嬉しいことはない」と語った。清九郎がこのように言ったのは、物事の優劣や損得に注目する、世間一般とは異なる視点を身につけていたからである。
これ以外にも、妙好人の言葉には、自分の至らなさを知る謙虚さと、「何があっても阿弥陀如来は見捨てない」ということから湧いてくる安心感がうかがえる。
浄土真宗に限らず、宗教の教えは日常と異なる価値観を提示する。そのため、不幸の中に肯定的な要素を見出し、幸運にあっても慢心しなくなる。これが信心の利益である。「宗教を信じることにどんな利点があるのか?」と思っている人にこそ、本書を勧めたい。