- 出版社・取扱者 : 岩波書店
- 発行年月 : 2011年2月8日
- 本体価格 : 本体1,900円+税
目 次 |
はじめに 第一章 路上のいのちに触れて 第二章 僧侶にもできる 僧侶だからできる 第三章 自立へ、人生のゴールへ 第四章 こころを聴く 第五章 結びなおされる縁 終章 感じる仏教・寄り添う仏教へ おわりに 紹介した僧侶・団体の連絡先とホームページ 参考文献 |
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「いのち」は大切であるといわれる。「一人の生命は、全地球よりも重い」とは、死刑制度に関して最高裁判所が発した言葉である(1948年3月12日最高裁大法廷判決)。
果して、本当に「いのち」は尊いものとして認識されているのだろうか。その大切さは、 「原理的」にという括弧づきのそれではないかと私はかねがね思っている。
特に信仰を「事」として生きる者の側にあってはこのことは、あまりにも自明のこととなっている。「いのち」の大切さが叫ばれるときは、実は「いのち」が疎外されているときである。
それは、丁度、原発がかぎりなく危険性をはらんでいるにもかかわらず、原発の安全性のメッセージを、安全神話を生み出していったのと類似している。安全なものは、安全性を喧伝しなくてもいいのである。
本書は「いのち」を疎外するもの(しくみ)と、「いのち」を疎外されているもののレポートである。その根底にあるものは、著者の「いのち」への深いまなざしとジャーナリストとしての卓越した鋭眼である。筆者が「はじめに」で紹介している77歳の主婦の新聞への投書を読んだとき私も深く心を動かされたことを記憶している。
それは「ニューヨークなどでは教会が率先してホームレスに食事を提供しているではないか。日本でお寺が早々と困っている人たちに炊き出しをしたとか、境内にテントを張って避難場所を提供したという話を聞いたことがない」というものであった。さらに、「お釈迦様は衆生を救うためにこの世に生まれたのではなかったのか」と投書子は記している(「朝日新聞」2008年12月23日付朝刊)。
年末の寒さと酷しさの中で投書子は心を傷めていたのである。端的に言って本書はこのような視点から、貧困の問題、自死、格差、差別といった、人間の「いのち」を抑圧するものに対して活動する人々のレポートである。宗教を担当する記者として、これらの問題にぶつかり、考える中で著者は多くの僧侶たちの活動に出会った。
著書は「現状をほうっておけないと感じる僧侶は、実際は各地にいて、具体的な活動をはじめている。彼らの姿から、いまの社会に必要な理念を探してみる」のがこの本の目的だと記している。本書に登場する人々には、仏教の教義学から動き出したという姿勢は全くみられない。また昨年の大震災以後、流行語になった「悲しみに寄り添う」といった気負いもみられない。ここには、できないことはできない。できることから一歩、半歩をすすめようという清冽さがある。本書は、日常に埋没し社会に迎合しがちな私たち仏教者に覚醒をうながすものであり、私にあらためて「私に何ができるか」という重い信仰課題をつきつけてやまない。
本書は『仏教、貧困、自殺に挑む』という書名であるが、現在の日本社会が抱えるさまざまな問題の構造を解明する好著であり現代人必読の書といってもあえて過言ではない。