- 出版社・取扱者 : 筑摩書房(ちくま学芸文庫)
- 発行年月 : 2013年2月10日
- 本体価格 : 本体1,100円+税
目 次 |
第0章 倫理ぎらい I 仏教を疑う II <人間>から他者へ III 他者から死者へ あとがき 文庫版増補「他者・死者論の地平」 文庫版あとがき |
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本書は2006年2月10日に「ちくま新書」で刊行された『仏教VS.倫理』に「他者・死者論の地平」を増補し、書名を「反・仏教学」に改題して再刊したものである。「反・仏教学」という題名はなんとも刺激的であるが、著者によれば、「『反』は反対の『反』ではなく、自ら省みる意味である」という。要するに「反・仏教学」とは、自らの属す「仏教学」という学問を根底から問い直し、批判的に再検討してゆく作業にほかならない。著者のそのような「仏教学」に対する批判的姿勢は、先行著書『現代仏教論』(新潮新書、2012年8月20日)などからも一貫して伺えるところであるが、しかし、それだけに本書では、これまでに常識化されてきた「仏教学」の定型から外れる文脈や問題意識に出会うことが多く、著者の思考に波長を合わせて文意を理解するまでに時間を要したのは評者だけではあるまい。
本書を貫くテーマは、副題が示すように「仏教と倫理」の問題である。「倫理」の定義については、和辻哲郎の言う「『人間』とは『人の間』という意味で、倫理とはその人と人とがどう関係するかというところにできるものである」というところを採用する。その倫理について、あくまでも個の問題にとどまる原始仏教(小乗仏教)においては成立するが、他を意識する大乗仏教になると、問題が「ややこしくなる」という。たとえば、大乗仏教の究極的思想である「自然そのまま」という思想では、人為的な努力を軽んじ、あるがまま、なるがままをそのまま認めるという無責任な態度になりかねない、と大乗仏教の倫理性については疑義を呈する。
ところで著者は、かねてより死者を他者として認めるべきことを主張しているが、その死者が「倫理」とどのように関わるか、ということにも考察を向ける。死者が存在するということを、著者は、田辺元が野上弥生子への書簡の中で「死せる妻は復活してつねに小生の内に生きて居ります」と言っていることを例にして、事実として死者からの「はたらきかけ」のあることを認める。ちなみに、このたびの東日本大震災で親しい人を失った人々が、亡くなった人々からの視線や励ましの言葉を身にうけながら生かされていることが報告されている(2013年7月9日『毎日新聞』「さあ これからだ」59より)。しかし、この死者は科学的実証主義に立つ近代的な世界観の中では位置づけができず、これまで「倫理」の枠に入らなかったという。しかし著者は、そのはたらきの存在を事実性にもとづいて認め、「超・倫理」という領域を新たにもうけて、その位置づけを試みる。そしてそれこそが「宗教」の領域であるとするのである。それに関連して、著者は今まで仏教本来の目的とするところでないとして否定されてきた「葬儀」などの意義を認める。このことは「葬式仏教」と揶揄されている日本仏教のあり方に水を与えることになろう。