- 出版社・取扱者 : 新潮社(新潮新書)
- 発行年月 : 2012年8月20日
- 本体価格 : 本体740円+税
目 次 |
はじめに 第一章 震災から仏教を考える 第二章 見えざるものへ−仏教から現代を問う 第三章 死者から考える 第四章 行動する仏教、思想する仏教 |
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本書は、東日本大震災が起こる数年前から新聞や雑誌に掲載された仏教に関するエッセー等に、震災をテーマとした論攷、講演の記録やブログなどをあわせてまとめられたものである。タイトルで現代仏教論とあるごとく、現代における仏教に多少とも関係するあらゆる問題が網羅的に取り上げられている。東日本大震災はもちろん、映画「おくりびと」、ヒット曲「千の風になって」、脳死・臓器移植問題、死刑制度、仏教と平和、靖国と千鳥ヶ淵、葬儀と墓、ホスピス・ビハーラ、死者と人称など枚挙すればいとまがない。
「第一章 震災から仏教を考える」に収められたいくつかの論攷はとりわけ興味深い。著者は書き続けることによって思索を深めていくタイプであるが、この章でも批判者とのやりとりが包み隠さず掲載されていて好感がもてる。震災当初、著者は「大災害は人間の世界を超えたもっと大きな力の発動であり、『天罰』として受け止め、謙虚に反省しなければいけない」と語ったのだが、八方から批判を浴びることになり、いわゆる「天罰」論は取り下げることになる。震災当初の人々の心情との間にギャップがあった感は否めないが、自然災害と呼ばれるものは単なる自然によって引き起こされた災害ではなく、多分に人災的要素を含んだ事象であることの本質を明らかにしており、人間至上主義の傲慢さに警告を発し現代文明のあり方を謙虚に反省する必要があるという著者の考えには賛同できる。
続く「第二章 見えざるものへ−仏教から現代を問う」、「第三章 死者から考える」では現代社会のあらゆる問題を仏教との関わりにおいて論じているが、あらゆる論攷はすべて「死」の問題へと収斂している。いや正確にいえば、著者の関心は「死」という抽象的な概念ではなく、「死者」という極めて具体的な存在にある。死者は「冥」の世界から「顕」の世界への眠られざる発信者、もっとも他者的な他者であるとする。その死者とともに生きること、本当ならば関わりえない他者と関わることが仏教の根幹なのであるという。
「第四章 行動する仏教、思想する仏教」では、著者の後半生にかける意気込みがうかがわれる。「従来の仏教研究は、文献研究から、せいぜいそれを思想史として構築するところまでが『学』として認められ、それをさらに思想・哲学として鍛えるということは疎かにされてきた」「もう一歩進めてそれを現代の思想・哲学として鍛え直し、捉え直そう」著者がこれまで積み上げてきた文献研究と思想史研究の豊かな成果をベースに、今を苦しみ悩みつつ生きている人たちと共有できる熟成された思想・哲学が世に問われることを切望したい。
仏教と死、あるいは死者の問題についての著者の論攷にさらにじっくり向き合いたい方には、『仏典をよむ 死からはじまる仏教史』(新潮社、2009年)、『他者・死者たちの近代』(トランスビュー、2010年)の2冊をお薦めしたい。