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コラム伝道 / 確かな押さえどころ

私が大学在学中に得度を終え、ご門徒のお宅へお参りに寄せていただくようになって間もない頃のことです。

その日もご門徒のお宅でお正信偈をお勤めし、お茶をよばれながら色々とお話をしていました。ところが帰りがけに突然、「いつもお寺のご法座で歌わせていただく、恩徳讃というのはどこに書かれているお言葉なんですか?」

という予期せぬ質問が私の耳に飛び込んできたのです。恥ずかしながら、当時の私はこのご質問に対し、即座に明確なお答えをすることが出来ませんでした。どうにかその場を取り繕う為に、恐る恐る、「親鸞聖人の著されたご和讃のどこかにあったお言葉だと思いますが…」と曖昧に答えることしか出来ず、逃げるようにして帰ったことを記憶しています。しかしお伝えはしたものの、不安に思った私はお寺へ戻ってすぐにお聖教を確認し、恩徳讃が宗祖の著された『正像末和讃』「三時讃」の最後にある一首であることを知りました。その後、そのご門徒のお宅へ伺い、曖昧に答えてしまったことのお詫びと、改めて恩徳讃のお話を申し上げたことはいうまでもありません。

「お浄土ってどんな世界ですか?」、「南無阿弥陀仏って一体何ですか?」。日々、ご門徒のお宅へお参りに寄せていただきますと、恩徳讃などのお聖教の出拠は勿論のこと、浄土真宗のみ教えに関する様々なご質問をいただきます。そんな時、分かったつもりになっていただけの自分に気付かされることが多々あります。自分勝手な理解で安易にお伝えしたものが、浄土真宗のみ教えからかけ離れたものとなってしまっていては、それこそ大変なことです。

この浄土真宗のみ教えについて、私の何よりの押さえどころとさせていただくのが、宗祖・親鸞聖人の著されたお聖教であり、ご歴代や先哲方のご指南です。

確かにその場で正確にお伝えする事が出来れば、それにこした事はありません。しかし曖昧な理解でお話することは、かえってお互いに混乱を招いてしまうことにもなりかねません。そんな時、たとえその場でお伝えすることが出来なくとも、しっかりとお聖教にたずねた上で、お話させていただくことが大切であると思います。

また相手の方が何故そのようなご質問をされているのか、というご質問の背景も十分にお聞きし、お話させていただくことも必要であると感じます。これからも有縁の方々のお声や想いに耳を傾けながら、私自身が確かな押さえどころをいただいた上で、共に浄土真宗のお話をさせていただきたいと思います。

2012/01 教学伝道研究センター研究員 赤井 智顕