HOME > 教えて! > 布教伝道の基礎 > コラム伝道

コラム伝道 / アンテナ

「やみくもに法話のネタ探しをするよりも、日常そのままを話せばいいんだよ」。布教専修課程にて、ある先生に教えて頂いた一言です。頭をガツンと叩かれた思いでした。自分が日常で考え、頷かせて頂いた阿弥陀様の御本願をそのまま話せばいい、何も難しくないじゃないか、そう教えて下さったのです。

確かに法座の依頼を受ければ、やはり法座数に見合うだけの話の題材が要ります。当日が迫ってきて始めて慌ててあっちの本、こっちの本をひっくり返します。そう、いわゆるネタ探しです。御讃題のご文に当てはまる例話や味わいを、法話集・解説書・新聞記事などから見つけようと躍起になるのです。

なるほどいいなと思う例話や味わいをメモして当日に臨むのです。しかし、何だかしっくり来ません。法話をしている自分と法話の内容とに距離感、違和感があるのです。その原因は、恐らく本の内容や他の人の例話や味わいを、取って付けたように組み合わせていることにあるのではないかと気が付きました。日常の「アンテナ」で受信した御本願を味わうならば、言葉や話の展開がごく自然に頷きながら紡ぎ出されます。こうした法話と急造で慌てて用意した内容とは自ずと開きがある、ということでしょう。

日常の「アンテナ」で受信した内容をそのまま話すこと。普段の人とのであい、生活上の出来事、法話を聴聞して、本を読んで等々の中で「最初はこう思い込んでいたけれど、違うと気がつかされました」と話すのもその一例でしょう。また、家族や友人等との何気ないやりとりを通して「お慈悲とはこういう事かと味わいました」と話すことも一つだと思います。み光の中に気が付かされ、かつ育まれている日常を敏感に受信する「アンテナ」は、法話の内容や一つひとつの表現に自ずと厚みを持たせるのではないかと感じています。

法話の内容、表現に難しさを感じた時、あの先生のお言葉を思い返します。

2010/12 伝道部布教研究専従職員 牧野仁