『拝読 浄土真宗のみ教え』に収載されている「浄土真宗の救いのよろこび」は、浄土真宗の救いが網羅的に示されています。その全体を紹介するだけでも随分と内容の豊富なご法座となります。
たとえば「浄土真宗の救いのよろこび」の第一段に
阿弥陀如来の本願は かならず救うまかせよと
南無阿弥陀仏のみ名となり たえず私によびかけます
とあります。この一段の背景には、阿弥陀如来・本願・悲心招喚・名号成就などの重要な内容があることに気づきます。
これらの深い内容をご法話でお話ししようとして、これらのすべての要点を一座のご法話に盛り込むと、お聴聞させていただく側としては、理解することが難しくなります。
そこで、先日のご法話では思い切って、「たえず私によびかけます」の「たえず」の一語に焦点を当てて、お取り次ぎをさせていただきました。
阿弥陀さまのお喚び声について、親鸞聖人は「喚ばふ」という現在進行形の送りがなを振って示されました。阿弥陀さまのお喚び声は、一度呼んだら呼んだっきり、というようなものではありません。また、いつか呼んでもらえる、というようなものでもありません。すでに遙か昔から「たえず」喚び続けに喚んでくださっていたのであり、いまも、これからも「たえず」喚び続けてくださっているのです。
このように、「たえず」という言葉だけを取り上げ、テーマを絞ってお話をすることで、話が散漫にならずに、阿弥陀さまの悲心招喚の願意を明らかに味わったことでした。
ご法話の最後に、改めて皆さまとご一緒に拝読した時、最初は何気なく読んでいた「たえず私によびかけます」の「たえず」の一語の背景に、このような阿弥陀さまの救いのはたらきがあることを、心新たに味わったことでした。