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コラム伝道 / 実況中継の醍醐味

「……伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ!」。覚えておいでの方も多いと思うが、これは前々回のアテネオリンピック、体操男子団体鉄棒の最終演技を締めくくるNHKアナウンサー、某氏の「金メダルを決めた日本の花道を飾る一言」と評された実況中継の言葉である。最終演技者の富田選手が28年ぶりの団体優勝を決めることができるかどうか、もしミスをすればすべてが終わりというハラハラどきどきの一瞬をとらえる、感動的な瞬間であった。

緊張、プレッシャーのなか、基本技に加えて次々と繰り出される難度の高い技を駆使し、ときに鉄棒から離れ、スリリングに宙を舞い、完成度の高い着地で決める。一連の動作は理にかない、すべてが関連づけられた技術、修練の見事さに視聴者は納得し、感嘆する。

実況アナウンサーの醍醐味は、まさに「生きた言葉」を聴衆にとどけ、感動をともにすることにあるのではないか。

現場はまさに生きものである。刻々と状況、場面は変化していく。その時、その場所で、その人が思わず口にした言葉やすがたが、視聴者を感動させ、つよいインパクトで記憶の底に刻み込ませていくことがある。その言葉や情景は、まるで宝石のように心の中に大切にしまわれることにもなっていく。

その点でいえば、布教をさせていただくことは、阿弥陀さまのすがた、はたらきを、説く側が「生きた言葉」で伝え、実況中継していくことになるといえよう。

すぐれた御法話を聴聞させていただくと、伝えたい事柄が明瞭で、一連の話の流れ、起・承・転・結にはつながりと意味があり、譬喩、因縁談、例話は機知に富み、やがて御讃題にかえって法義でしっかりと結ばれていることに気づかされる。そして何よりも自分の言葉で救いが語られているところにある。

「悪人凡夫をもれなく救う」という阿弥陀さまのはたらきは、まさに「離れ業」である。眼には見えないそのはたらきをどのように実況中継していくか、私にとってはまことにおぼつかないことである。法話は、救われていく人間の言葉でなければならない。醍醐味を求め、日常の現場で、「生きた言葉」に出会いたいものである。

2009/02 教学伝道研究センター委託研究員 貴島信行