昔々、ある夫婦が三つの餅を食べようとしていました。二人で三つですから、一つずつを食べて、一つが残りました。残りの餅を二人で分ければ良いのですが、どういうわけか、黙りっこくらべをして勝った方が食べるということになったようです。二人がじっと黙っているところに、なんと盗賊が家に入ってきました。そして、財産を盗んでいくのです。それを見ても二人は黙っています。盗賊は夫婦が黙りこくっているのを良いことに、妻におそいかかりました。それでも夫は黙っています。たまりかねた妻は、「あなたは何て愚かな人なの。一つの餅のために盗賊に何も言わないなんて」と声を荒げたのです。すると夫は、「やった、わしの勝ちだ。この餅はわしのものだからな」と手をたたいて笑ったのでした。
【解説】
- ・この夫は、目の前にある餅にとらわれて、目の前で妻をおそう盗賊を見逃してしまいました。とても信じられないような話です。経典にはこの後、私たちの煩悩は賊のようにおそいかかり、仏法を失わせてしまうと示されます。そして、欲のままに過ごし、迷いに沈むという大きな苦に遭っているにもかかわらず、そのことを思い悩まない者は、この夫と同じであると説かれるのです。
- ・振り返ってみますと、自分自身もこの夫と同じようなことをしているのかもしれません。毎日の生活のなかで、目先のことばかりにとらわれて、本当に大切なことを見過ごしてはいないか、あらためて考えさせられます。
- ・迷いに沈んでいるという根本的な苦の解決こそが、本質的に最も重要なことと言えるのではないでしょうか。そのためには、何をさしおいてでも、その解決の道が説かれる仏法を聞くことこそが大切なのです。
【補足】
- ・この話は、『百喩経』巻第4「夫婦食餅共為要喩」(大正蔵4、553頁下)に説かれています。
- ・親鸞聖人が得度の時に詠われたと伝えられる、「明日ありと 思う心の あだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」という和歌では、仏法にいま遇うことの大切さが詠われています。
- ・蓮如上人は、「仏法には世間のひまを欠きてきくべし。世間の隙をあけて法をきくべきやう思ふこと、あさましきことなり。仏法には明日といふことはあるまじきよし」(註釈版1280頁)と、いますぐに仏法を聴聞することの大切さをお示し下さいました。