かの兼好法師の『徒然草』(第四十一段)に次のような話が見えている。
五月五日の加茂の競馬を見物の時、大勢の人が押し合い混み合いするなかで、一人の法師が樗(おうち)の木の上に登り居て、木の股に取り付いて見物する様子であった。
ところがこの法師、木に取り付きながら眠り出したほどに、ふらふらとはや落ちそうになりては目を覚まし、目を覚ますかと思うとはや居眠る。
どうも危なっかしくてたまらぬ有り様を、見ていた人々が嘲り笑い、あのような危ない枝の上で、居眠りなど馬鹿なことをすると謗った。
そのとき兼好法師のこころに、ふと思いついて、我らが生死はいつ無常の到来することか、ただ今も計り難い危ない命。それを忘れてこのような物見見物に日を暮らすというは、あの木の股に眠るよりも、遙かに勝りて愚かなことであると言われた。
傍らの人々はこれを聞きて、誠に左様でござりますると、感じ入ったということである。
五月五日の加茂の競馬を見物の時、大勢の人が押し合い混み合いするなかで、一人の法師が樗(おうち)の木の上に登り居て、木の股に取り付いて見物する様子であった。
ところがこの法師、木に取り付きながら眠り出したほどに、ふらふらとはや落ちそうになりては目を覚まし、目を覚ますかと思うとはや居眠る。
どうも危なっかしくてたまらぬ有り様を、見ていた人々が嘲り笑い、あのような危ない枝の上で、居眠りなど馬鹿なことをすると謗った。
そのとき兼好法師のこころに、ふと思いついて、我らが生死はいつ無常の到来することか、ただ今も計り難い危ない命。それを忘れてこのような物見見物に日を暮らすというは、あの木の股に眠るよりも、遙かに勝りて愚かなことであると言われた。
傍らの人々はこれを聞きて、誠に左様でござりますると、感じ入ったということである。
【解説】
- ・無常の世にあって、無常である我が身に気づかないでいることの愚かさをあらわす例話です。
- ・安田得忍編『説教譬喩合法録 上』(興教書院)より