- 出版社・取扱者 : ミシマ社
- 発行年月 : 2016年11月1日
- 本体価格 : 本体1,600円+税
目 次 |
はじめに 第一章 お世話され「下手」だった私 第二章 お寺に注目する 第三章 地域に支えられる里家・むつみ庵 ●むつみ庵スタッフ座談会 前編 第四章 看取るということ ●むつみ庵スタッフ座談会 後編 ●「むつみ庵」に行く/細川貂々 第五章 認知症高齢者に学ぶ 第六章 あぶら揚げと仏教 第七章 土徳とローカリズム 終章-お世話され上手への道 あとがき |
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著者は浄土真宗本願寺派寺院の住職であり、認知症高齢者のグループホーム「むつみ庵」の運営も行っている。著者がグーループホームを運営するようになったのは、寺の裏にある民家が空き家同然となり、そこを社会福祉に使えないかという話が著者に持ち込まれたからである。
本書は、著者の運営するグループホームの様子や、その活動についての著者の考えをつづったものである。そこには、グループホーム運営そのものだけでなく、その経験を仏教の教えに照らして考えたことが述べられる。しばしば語られるのが、「お世話されること」「任せること」である。
著者は、現代は「他人のお世話にならないこと」が強調されるが、そこにはさまざまな弊害があるのであって、「他者に迷惑をかけたりかけられたりしながら暮らす」のが社会なのであるから、「任せること」が生きるのに大切であると言う。
その例として、著者は次のように述べる。
「お世話され上手な人には共通点がある。それは「こだわりのなさ」である。(中略)介護スタッフに身体をまかせるのも上手。こうでなければ許さんといった雰囲気がない。」(202ページ)
こだわりがないと過ごしやすいのは、介護を受ける場合に限らない。日常でも、こだわりが強いと、受け付けられるものが少なくなってしまう。その結果、拒否するものが多くなるので、不快になることが増える。つまり、自分の態度のせいで、自分の日常が過ごしにくくなるのである。
仏教は、こだわりを捨てることを説く。そうは言っても、私たちには「あれがいい」「これはイヤだ」とこだわりが多い。だから、「お世話され上手」になるのは難しい。
そもそも、仏教がこだわりを捨てることを説くのは、それが難しいからである。簡単であるなら、わざわざ説かない。お世話され上手になるには、その難しさを知ることから始まる。評者にはそう感じられた。