- 出版社・取扱者 : 本願寺出版社
- 発行年月 : 2007年12月20日
- 本体価格 : 本体1,600円+税
目 次 |
はじめに 序 章 カーネーション椿、ひたすら赤く 第1章 枝垂桜の芽一輪、ほんのりと 第2章 やぶこでまりの木、小さき庭に 第3章 根のある草は、芽を吹く、花ひらく 第4章 沙羅双樹の花、清楚に今を生きる 第5章 ねじり花、ねじれたままの小さき花 終 章 白木蓮のいのち、その鮮烈な白 東井義雄略年譜 参考資料 おわりに |
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今から30年ほど前、何のツテもない私の手紙に快く応じて、地方の小さな講演会に出向してくださったのが初めて東井義雄先生に出会った時であった。端然と、まさに端然という言葉がぴったりするご様子で控え室に座っておられた。大げさではなく、密かに私は大乗の菩薩とは、このような佇まいだったのではないかと思った。
一度だけ但東町のご自宅まで訪ねていったことがある。先生の詩には、いつもの日常がそこかしこに登場するが、これがあのお地蔵さんか、ここがあの自転車で走っていく道かと感激しながらご自宅に着いたのを思い出す。先生はラジオ番組の収録中であったので、富美代夫人が相手をしてくださったが、「ひょっとして これは私のために生まれてきてくれた女ではなかったか」と拝まれたという詩の通りのすばらしいお方であった。
その当時の先生は、大学の講師を勤め、講演や著述活動に多忙な日々を送っておられたが、先生の後を継ぐように教育の道を歩まれたご子息やそのご家族、そして富美代夫人とともに、実りある晩年を送っておられたといえよう。まさかその後に、あのような痛ましい出来事が次々と起こるとは、誰も想像していなかったのである。
本書は、その冒頭に、ご子息義臣氏突然の病いによる先生の苦悩の日記が綴られている。意識不明の義臣氏に向かって「倅よ、何とかわたしに先立つことだけはしてくれるな」と呼びかけ「どうかもういっぺん けさの出勤のときの顔に戻っておくれ」と叫ぶような思いが認められている。胸の張り裂けるような悲しみの中で、苦悩する先生。
しかし、懸命の看護の中で、義臣氏の妻である浴子さんの「悲しみを通して、初めて見さしてもらえる世界があるのですね」という言葉を聞く。そして「人間の一息一息がどんなに大変なことであるか。当たり前だと考えていることが当たり前ではない。すばらしいことなのです」といのちの喜びを述べられる。年寄りが今、どうも死をごまかす方向で生きがいを求めようとしていることが問題であり、「いのちを喜ぶ。そしてこの目覚めによって、どんなつらいことも乗り越えさせていただく。それが、かけ値なしの人生と思うようになりました」と記されている。
悲痛な苦悩の中で、いのちの喜びに目覚めていく先生は、いったいどういう人生を歩んでこられたのか。苦難の人生を生きていく上に、一番大切な「根っこ」とは何なのか。本書は、次章以下、教育者として、念仏者として、詩作者として生き抜かれた東井先生の魅力を、先生自身の言葉で綴りながら、それに解説を加えることによって、さまざまな角度から紹介している。
「老は失われていく過程のことではあるけれども 得させてもらう過程でもある」と述べ、『老よ、ありがとう』(樹心社)と示した東井義雄の世界に導く好著である。