HOME > 読む! > 仏教書レビュー > 書評

「律」に学ぶ生き方の智慧
書評
  • 佐々木 閑 (ささき しずか)
  • 出版社・取扱者 : 新潮社
  • 発行年月 : 2011年4月20日
  • 本体価格 : 本体1,000円+税

まえがき
第一章 律とはなにか
第二章 「出家」という発想
第三章 律が禁じた四つの大罪
第四章 オウム真理教はなぜ壊れたか
第五章 生き甲斐の見つけ方
第六章 出家的に生きるということ
あとがき

「出家」という言葉から私たちは何を連想するだろうか。世を憂い、剃髪し、人倫の交わりを絶ち、ひとり孤独に宗教の道を歩むことをイメージする人も多いことと思う。『源氏物語』に登場する華やかな女性たちの出家、北面の武士から転身した西行法師、漂泊の俳人・種田山頭火…。そう、「出家」にはどこか悲壮感や寂寥感が漂う。

前著『出家とは何か』(大蔵出版)で、このような「出家」のイメージを払拭し、律蔵の詳細な解読に基づいて、初期仏教における出家者集団の実像を生き生きと描き出した著者が、オウム真理教や現代の科学者集団などとの比較も交えながら、一般の読者にも分かりやすく、本来の「出家」の意義を明らかにしたものが本書である。「出家」とは単に世を儚み、世間に背を向けることではない。著者は言う。「自分の生き甲斐を、一般の社会システムとは隔絶したところに設定し、その目標を追究するために世俗の生活を捨てる。これを出家というなら、仏教修行者も科学者も出家である」(162ページ)と。だが、科学者と仏教修行者を同列に論じることを訝る方もおられるだろう。かく言う評者もその一人。しかし、本書の第六章を読めば、この疑問はたちどころに氷解する。出家者として科学者を見ることを通して、現代日本の科学者集団が抱える問題点を浮き彫りにしたこの章は、本書の読みどころの一つである。

また、世を騒然とさせたオウム真理教の事件が起きて久しいが、あの事件の本質はどこにあったのか、という疑問は私たちの心にくすぶり続けている。仏教を利用した犯罪者集団。そう割り切ることもできようが、ならば彼らもやはり仏教徒の一員なのか、という問いが起きる。この点について、当時、仏教学者の答えは実に歯切れが悪かった。それに対して、本書は、オウム真理教と仏教とが「外面上の教え」に関しては共通点をもつことを積極的に認めた上で、教団運営の在り方、つまり、出家者の集団が守るべき規則(律)の観点からは両者に明瞭な差異があることを明らかにしている。その差異は、「社会との良好な関係を最重要視する釈迦の仏教と、社会からの批判を無視して独善的につっ走ったオウム」(142ページ)という言葉に集約されるだろう。

私たちは、鹿野苑や霊鷲山で法を説く釈尊の姿を知っていても、自分に従い出家の道を選んだ修行者たちが抱える生活上の諸問題を解決するために、様々な規則を定めた、教団運営者としての釈尊の姿を知らない。社会の生産活動に従事しない修行者たちが生きていくためには、必然、一般社会からの支援が必要となる。社会からの信頼を失わぬよう、出家者たちには、民衆からの視線を常に意識した生活態度が求められた。だからこそ、仏教教団は決して反社会的にはなりえなかったのである。「律」に込められた、このような釈尊のメッセージは、オウム真理教のみならず、「律」なき日本の仏教徒へも、等しく向けられたものではなかっただろうか。


評者:護山 真也(信州大学准教授)


掲載日:2011年8月10日