- 出版社・取扱者 : 本願寺出版社
- 発行年月 : 2008年6月1日
- 本体価格 : 本体800円+税
目 次 |
まえがき 見えない世界へ 晴れた日には永遠が見える トワイライトの彼方より 君は風を見たか 空アリマス 若いという悩み お洒落な仏教 真夜中のメール タツヤの死 手紙 私を呼ぶ声 みんなを好きになれない日には 舟に乗れなかった人 声が聞こえる あとがき |
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著者の豊かな感性が私の胸に響いてくる著述である。著者は教壇から若い人々に「やさしく表現したり、ユーモアや関連した余談をもりこむよう」(108ページ)にして、仏教を説いている教員である。本書は、説き示すというよりも、その一頁一頁から、著者の求道の精神が感じられ、読む者は深く惹きつけられて行く。
仏教を説くことはやさしい。しかし、仏教に生きることはそれほどたやすいことではない。仏教が「知」の領域に属するものであるならば、その理解は比較的容易である、といえよう。
が、仏教のめざすところが、単なる「知」の領域ではなく、その説くところを自己の人生の中で検証していく営みであるために、それを体解するには、一種の困難性を伴うのである。
しばしばいわれることであるが、仏教を「仏(覚者)の教え」と読む立場と、「仏に成る教え(大いなる自覚者になる)」と読む場合がある。前者を仏教の「知」的理解とするならば、後者は「行」(求道)的理解といってもよいかも知れない。
本書のタイトル「晴れた日には永遠が見える」とは、1965年にミュージカルのために作られた歌の日本名であることを著者は記している(3ページ)。
著者は、西に沈む夕陽の彼方に永遠なるものを見ようとしている。「西日をいっぱいに浴びて黄金色に輝く教室の、窓の向こうには沈み行く夕陽が見える。夕陽があまりに美しい時は言葉を失うほどだ。言葉を失っていては講義にならないので、学生たちと一緒に、すっかり沈んでしまうまで黙って夕陽を見ていたことがあった」(4ページ)。
そして著者は「西に沈む夕陽は、消えゆくもの、去りゆくものを美しく見せる。そして昔の人は、人生の終焉を沈み行く夕陽に重ね、まだ見ぬ世界を西の彼方に思い描いた」(5ページ)という。親鸞浄土教では、西方浄土の教えを中核とする。西方浄土などと言うと、それだけで荒唐無稽な教えとして斥けられてしまう。しかし、浄土思想がいかなる世界を示し、それが私たちに何を問いかけているか、ということにいたずらに心を閉ざすのは、ひとつの驕りであるといえないだろうか。
どこまでも人間(自己)を中心に据えてものごとを考える立場。また、真実にめざめた仏(覚者)の教えに立脚した生き方。私たちの混迷は前者の立場に立つところからもたらされたものといえないだろうか。全編を通じて私はこのような感想をもつ者である。
本書は11篇から成っているが、いわゆる仏教入門の書ではない。それは、人間、いのち、人生の学びの書であり、人間というものの深さ、悲しさ、そしてなによりも人間であることの喜びに出会わせてくれる書である。このことを通して私は「人が人に成る」ことができるのだと考える。多くの人々に勧めたい、さわやかな人間入門書である。