- 出版社・取扱者 : 吉川弘文館
- 発行年月 : 2017年11月1日
- 本体価格 : 本体2,200円+税
目 次 |
プロローグ-知的アウトサイダーとしての僧侶 一 道鏡 二 西行 三 文覚 四 親鸞 五 日蓮 六 一遍 七 尊雲(護良親王) 八 一休 九 快川 一〇 天海 エピローグ-僧侶と日本人 あとがき 補論 |
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表紙に描かれた一休宗純の肖像画と、どこか娯楽性も漂わせる題名。それと、関東における親鸞研究の第一人者である著者の名前という意外な組み合わせが興味をひく一冊。従来型のリーダーに代わって時代を切り開く存在、「知的アウトサイダー」としての「奇僧・快僧」に注目し、「あくまでも厳密な歴史学研究の上に論を展開」(187ページ)しつつ、時に史料の背後にあることも見通して、その魅力あふれる人物像を軽快に描き出している。
登場する僧は全部で10人。奈良時代(古代)の道鏡から始まり、江戸時代(近世)の天海で終わる。そしてこの2人の間に、親鸞や一遍、一休など、中世の僧が8人登場する。混迷の中世こそ、多くの奇僧・快僧があらわれた時代なのだ。その中でも特に印象的なのは、行実を伝える史料が少ないといわれる一遍についての、鮮やかな描写である。一遍に関しても多くの研究成果を残してきた著者ならではの深い洞察を味わうことができる。
さて、中世の終わりとともに、奇僧・快僧の時代も終わりを迎える。総じて型破りであった奇僧・快僧の物語の最後が、天海という、型破りというよりむしろ常識的で、座興に長じ機知に富んでいた人物で結ばれるところには、冒険の時代は終わったのだという寂しさすら漂っている。しかし浸っている場合ではない。奇僧・快僧の時代の終わりは、僧侶の世俗化の時代の始まりでもあるのだ。著者は、世俗化極まる今日の日本仏教を憂え、時代を動かすパワーを持った「現代の〈奇僧・快僧〉よ出でよ」(179ページ)と願う。現代の寺院を取り巻く状況や、そこで努力をしている僧侶がいることも十分承知した上で発せられるそのメッセージは重く響く。
なお、本書は1995年に発行された書籍(講談社学術文庫)の復刻版であり、「補論」として、初刊から復刻までの22年間に進展した、各人物に対する研究の状況が整理されている。その中、一休のところでは、現在も衰えない一休人気を物語る作品の一つに成人向けPCゲームの題名が挙げられている。仏教書らしからぬ視点に驚かされるが、こうしたところに、型にはまることなく時代の本質を捉えようとするアウトサイダーとしての、本書なりの姿勢が現れているようにも感じられるのである。