- 出版社・取扱者 : 自照社出版
- 発行年月 : 2017年3月1日
- 本体価格 : 本体800円+税
目 次 |
発刊のことば はじめに-玉日研究の基本的視点- 一 「親鸞の妻は関白九条兼実の娘玉日」を伝える史料 二 玉日伝説の成立 三 九条兼実が法皇と呼ばれた、という話について 四 摂関家の娘たち-藤原道長から九条兼実まで- 五 道長以降の摂政・関白と娘たち 六 九条兼実と娘 七 母の身分が低い子 おわりに あとがき |
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京都や関東には、「親鸞聖人の妻は関白・九条兼実の娘、玉日という女性であった」という話が伝えられてきた。1921(大正10)年に恵信尼文書が本願寺蔵から発見され、聖人の妻として「玉日」よりも「恵信尼」の注目度が高まった。
それでも「玉日」という伝承は今日まで大切にされ、近年では遺骨を発掘するなどという調査も行われている。
本書は歴史学の立場から、「玉日」という人物は実在したのかという問題を、2つの視点から明らかにしている。
1つ目は、「玉日」に関する史料が信用できるかという点である。実は「玉日」に関する史料は、鎌倉時代、その後の南北朝時代にも見つからず、室町時代の『親鸞聖人御因縁』『親鸞聖人御因縁秘伝鈔』に出てくるのが最初である。つまり「玉日」の名は室町時代に始めて登場するのである。
2つ目は、当時の社会背景や常識から考えて、可能性のある話であるか?という点である。九条兼実の娘は任子のみとされるが、もしも「玉日」が摂関家である九条家の娘であったならば、どうだろうか。著者は、自分の娘を天皇の后とすることに努力をするはずだという。皇子の誕生によって権力をものにするためである。実際に兼実は一人娘・任子を後鳥羽天皇の后にするために奔走し、中宮にすることに成功した。しかし生まれたのは皇女で、このことから九条家は傾いていく。著者は「もし兼実に任子以外の娘がいたならば間違いなく天皇のお后候補として育て、実際に後宮に入れたでしょう」(58ページ)と述べる。九条家にとって娘が、貴族社会でも比叡山でも、出世が見込めず無位無官の親鸞聖人と結婚させるメリットは何もないのである。つまり当時の常識的に考えて、親鸞聖人と兼実の娘が結婚することはありえない話だと、著者は論ずる。
しかし著者は、「玉日」への尊崇の念を否定するのではない。史実の究明とは別に、「玉日」伝承を大切にして受け継いできた人々の気持ちは尊重されるべきであると言う。
著者も引用し称賛されている、大谷嬉子さまのお言葉。「玉日という美しいひびきを持った名は、聖人の内室の代名詞のつもりで、恵信尼公のおもかげを重ねて使ったらどうかと思う。聖人の内室を敬慕する人の気持ちにかわりないのだから」(22ページ)というのが、「玉日」伝承に対する最も適した態度ではなかろうか。