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影なき光
書評
  • 徳永 道雄 (とくなが みちお)
  • 出版社・取扱者 : 本願寺出版社
  • 発行年月 : 2010年3月20日
  • 本体価格 : 本体800円+税

はじめに
風のうた
影なき光
ものみな金色に輝く
人生の「まこと」
「そのままの救い」ということ
浄土真宗と祈り
あとがき

本書はその「あとがき」にあるように、横須賀市長浦町の常光寺住職鶴山信行師と徳永道雄先生との「不思議のご縁」によって、出来上がった本である。

そう言えば、かつて聞いたところによると、徳永先生がハーバード大学の神学部客員教授として、親鸞浄土教の講義を担当されていた頃、学生たちは先生のことを「Goen」と呼んでいたそうである。それは、大学の講義において、仏教の真髄を伝えることに苦労しておられた先生が、常に熱意をもって「ご縁」という仏教教義の要を話される為、いつのまにやら「Goen」というニックネームになったというのである。本書で記されている随想にも、徳永先生が出会われたさまざまな「ご縁」が記され、それによって紡ぎ出された至極の言葉が鏤められている。

「ご縁」の一つとして、長年奉職しておられた京都女子大学の学生さんとの出会いの幾つかが記されている。18歳の在学生が交通事故に遭い、健常者のように生活できなくなった苦悩から先生によこした手紙に触れ、先生が「真」と「実」の違いによって「まこと」という概念に二つあることを書き送ったことが紹介されている。

「真」とは一定のレベルを設定して、そこに到達することをもって「まこと」とし、これに対し「実」は、一切の存在のあるがままに「まこと」を見てゆくということ
(71ページ)

と記され、一定のレベルに到達できることのみ考える世界から、もののあるがままに「まこと」を見ていく「大悲の光明」の世界を示されるのである。

また、仏教学の点数を60点に下げて欲しいといってきた学生の言葉から、オウム真理教の事件に触れて、教えを聴聞することの大切さを示される。そして、阪神大震災の被災者であった学生の一言に触れて、人生においては人間のいかなる叡智をもっても避けることのできない出来事がやってくることを述べ、それに対する良寛の言葉によって仏教の真髄を明かされる。

さらにまた、海外の人々との「ご縁」が多い先生は、2人の元米軍兵士の学生との出会いに触れて、仏教と平和の問題についても論じられている。仏教の目指す「兵戈無用」の困難さや問題点を充分に提示した上で、

この世が末世であるのは、自分が存在するからだという自覚であり、いかに正義を主張してみても、それを主張する自己そのものは見えていないという悲しみ
(139ページ)

と述べて、自分の存在に対する底のない悲しみや自分の奥底にひそむ暗黒の自覚こそが、平和の問題に一縷の希望を与えるのではないかと示唆されている。

これらは、常日頃から先生が提起されている仏教と社会性、浄土真宗と社会性の問題を根底に据えてのことである。社会の問題を離れて仏教や浄土真宗の教えが語られることがあってはならないし、社会の問題に対して積極的に論考されていても、それらが阿弥陀如来の教えから離れているのならば、全く意味をなさない。

如来のはたらきを妨げる私のはからいに目線を置き、人間の知恵の限界というところに着目して名づけられた「影なき光」というタイトルにこそ、先生の思いが凝縮されているのであろう。「常光寺」という「ご縁」によってできた本に相応しい絶妙のタイトルであるに違いない。


評者:森田 眞円(教学伝道研究センター委託研究員、京都女子大学教授)


掲載日:2010年7月12日