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お念仏の仏道を歩む
本の紹介
  • 天岸淨圓 (あまぎし じょうえん)
  • 淺田恵真 (あさだ えしん)
  • 出版社・取扱者 : 自照社出版
  • 発行年月 : 2015年10月30日
  • 本体価格 : 本体800円+税

「慈悲」の仏さまをおもう
仏道における主人公は誰か
アンコール遺跡
あとがき

本書は、天岸淨圓・淺田恵真の両氏による法話である。

前半は天岸氏の法話で、ご讃題は『正像末和讃』の中の「聖道門のひとはみな 自力の心をむねとして 他力不思議にいりぬれば 義なきを義とすと信知せり」という一首である。法然聖人は、仏法を大別して2種類あるとした。ひとつには、努力によって目的に到達するという、私たちの道理にそって整えられた教え(聖道門)である。もうひとつが、その道理を超える教え(浄土門)である。ともに成仏を目的としているのであるが、道のりに違いがある。私たちには、好きなものを求めて都合の悪いものには腹を立てる心(煩悩)がある。聖道門で目的に達するためには、心を清める必要があるが、煩悩は抜きがたい。そのため、自力の努力で目的を目指すという聖道門の道理はわかりやすいが、実現はかなわない。そこで阿弥陀如来は慈悲をもって、私たちが煩悩を抱えたままで目的に至る教えをあたえられた。このような阿弥陀如来のはたらき(他力)は私たちの道理を超えているから「他力不思議」なのである。

後半は淺田氏の法話である。ご讃題は『歎異抄』第5章の一文「親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず。そのゆゑは、一切の有情はみなもって世々生々の父母・兄弟なり。いづれもいづれも、この順次生に仏に成りてたすけ候ふべきなり」である。淺田氏は仏教について、教学と信仰で理解の仕方に違いがあると述べる。教学では自他の区別を問わず「だれもが仏になれる」と言うが、信仰では「この私を仏としていただく」と受け止めるものだと語る。葬儀においても「父母の孝養」すなわち死者供養のためだけでなく、参列者が故人へ「身をもって無常を教えてくださったこと」を感謝したうえで、「私」もお浄土に往生させていただくことを喜ぶのが仏教儀式としての葬儀の意義だと説く。誰のための念仏であるのか、それを取り違えないよう注意を促し、しめくくっている。


評者:網代豊和(浄土真宗本願寺派総合研究所元研究助手)


掲載日:2016年4月11日