- 出版社・取扱者 : 自照社出版
- 発行年月 : 2015年11月30日
- 本体価格 : 本体800円+税
目 次 |
発刊のことば 「親鸞聖人と箱根権現」関係地図 はじめに 一、親鸞聖人の箱根権現訪問 二、箱根権現と鎌倉幕府 三、青蓮院と慈円 四、親鸞聖人と聖覚 五、聖覚と青蓮院 六、聖覚と鎌倉幕府 七、箱根権現に到る道-二つの東海道- 八、暁の箱根社 九、その後の親鸞聖人と聖覚 十、『親鸞伝絵』の制作者覚如の意図 おわりに あとがき |
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親鸞聖人の最古の伝記である『親鸞伝絵(御伝鈔)』(本願寺第3代・覚如上人の作)には、関東の地での出来事が3つ書かれている。1つ目は滞在期間が長かった稲田草庵の事、2つ目は親鸞聖人に危害を加えようとした山伏・弁円が親鸞聖人の門弟となった事、そして最後に関東から京都へ帰る途上での箱根権現(箱根神社)訪問である。
約20年にも及ぶ関東での伝道生活にもあったにも関わらず、覚如上人が取り上げたエピソードは僅かに3つしかない。従来、親鸞聖人はたまたま箱根権現のそばを通りかかり接待を受けたと考えられてきた。しかし著者は箱根権現のエピソード挿入について、何か特別な意味があるのではないかとして、綿密な論証を本書で行っている。
まず注目すべき点は、親鸞聖人と同様に法然聖人門下であり、親鸞聖人が大切にされた書『唯信鈔』の著者である聖覚法印(せいかくほういん)が箱根権現の支配権を手にしていたということである。青蓮院の慈円僧都に仕えていた聖覚法印は、手に入れた箱根権現や伊豆山権現などを含む荘園群を慈円僧都の寺坊に寄進し、その支配を確実なものにした。
その結果、箱根権現の支配関係は、
慈円(青蓮院)―聖覚―箱根権現現地の支配者
となったとされ、箱根は親鸞聖人にとっても縁の深い場所になったのである。
また覚如上人が『親鸞伝絵』の初稿を制作したのは永仁3年(1295)のことであった。当時の大谷廟堂(本願寺の前身)は青蓮院のいわゆる曾孫寺院の関係にあった。しかし、箱根権現訪問の話を取り上げることは、親鸞聖人と聖覚法印の関係を示唆することになり、聖覚法印の箱根権現(青蓮院の直接配下にあった)と大谷廟堂が同格であると主張する根拠となり得る。その意図のもと、『親鸞伝絵』に箱根権現訪問の挿話を記した、という新しい見方も非常に興味深い点である。