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中学生が感動したブッダの言葉
書評
  • 遠藤 弘佳 (えんどう こうか)
  • 小林 良信 (こばやし りょうしん)
  • 出版社・取扱者 : 晋遊舎(晋遊舎新書)
  • 発行年月 : 2012年5月30日
  • 本体価格 : 本体840円+税

第一章 人はなぜ生きて、なぜ死ぬのか
第二章 自分というものがよくわからない
第三章 なぜ人は学び、働き続けなければいけないのか
第四章 家族、友人、周囲の人が教えてくれること
第五章 運のいい人、悪い人がいるのはどうしてだろう
第六章 人間の品位はどうすれば身につくのだろう
第七章 ネガティブな気持ちとどう付き合えばいいか
第八章 「本当に幸せな状態」とはどういうことなのか

仏教は「むずかしい」と言われる。学生だけではない、平素接している真宗のご門徒も同じことを言われる。私もやはり仏教はむずかしいものだと思う。ある僧侶の方が「どんなにやさしく書いた書物でも、読む人がみなむずかしいと言われる」と書いておられた。

そのむずかしさとはなんなのだろうか、と私はいつも考え込む。言葉のむずかしさなのか。それともとりあげる事柄のむずかしさなのだろうか。また、説かれている事はわかるが、それが私のものとならないというむずかしさなのか。おそらくこれらのことが重なりあってのむずかしさなのではないかと思われる。

本書は「中学生が感動したブッダの言葉」とあるように、学生から寄せられた問いに対し、仏教の思想をもとに答えたものである。著者は東京にある芝 中学校、高等学校で教員をつとめる英語や宗教の授業を担当する現職の教員であり、両氏は僧侶でもある。この学校は創立107年になるという仏教系 の伝統校である。日常的に按している中学生がさまざまな問題を抱える中で出された疑問、問いかけが基軸となって展開されている。冒頭に中学生のなまの問いが記され、その問いかけに丁寧に対応している手法に好感を持つ。その問いに共感したり、ときにはその問いを突き放すような文脈の中に、問題を共有しようとする著者の姿勢がみられる。

本書は次の8章の構成であるが、その中に43の問いが示されている。第一章「人はなぜ生きて、なぜ死ぬのか」第二章「自分というものがよくわからない」第三章「なぜ人は学び、働き続けなければないけないのか」第四章「家族、友人、周囲の人が教えてくれること」第五章「運のいい人、悪い人がいるのはどうしてだろう」第六章「人間の品位はどうすれば身につくのだろう」第七章「ネガティブな気持ちとどう付き合えばいいか」第八章『「本当に幸せな状態」とはどういうことなのか』。

第一章の冒頭には若い人が常に問いかける「生きることの意味」についての問答がある。「たとえ死にたくなるくらい嫌なことがあっても、いただいた命を自分で勝手に捨てることはできません。なぜならあなたは自分一人で生きているのではない。たくさんの命のリレーに支えられて生きているからです。そしてそれはあなたの隣にいる他の人も同じです。あなたと同じようにたくさんの命のリレーで生まれてきたのが、あなたの隣にいる人です」(16ページ)。文中に「命」とあるが、私は「いのち」と表記することにこだわっている。若干ニュアンスの違いがあるように考えるのだが、いかがであろうか。

今、テレビで大阪の高校生の自死を報道している。日本は若い人々の自死も多い。勿論そこには多面的な問題が横たわっているが、どれだけ多くのものを学んでも、「いのち」を学ぶ場を全くもたない日本の若者たちの悲劇を忘れてはならないだろう。お金とものを手に入れるためにがむしゃらに生きてきた私たちがこのような社会をつくってしまったのではないか。私たちは若い人たちに取り返しのつかない負の遺産を残してしまった。そこに本書をおすすめする深い理由がある。


評者:山崎 龍明(武蔵野大学教授)


掲載日:2013年2月12日