- 出版社・取扱者 : 文藝春秋(文春文庫)
- 発行年月 : 1996年7月10日
- 本体価格 : 本体467円+税
目 次 |
序文 美しい姿(吉村 昭) 納棺夫日記 第一章 みぞれの季節 第二章 人の死いろいろ 第三章 ひかりといのち 著者注釈 『納棺夫日記』を著して あとがき 文庫版のためのあとがき 光の溢れる書『納棺夫日記』に覚える喜び(高 史明) |
---|
先日書店へ行くと、本書がレジカウンター脇に平積みにされているのがふと目に入ってきた。平積みの理由が、映画「おくりびと」の米アカデミー賞外国語映画賞の受賞によるものであることは、今さら言うまでもないであろう。私もまた、連日の受賞報道により本書を手にしたのである。
しかし、本書の内容はマスコミの報道によって予想していたものとは、いささか異なっていた。前半は納棺夫となった著者の日常を綴るのが主であるが、それはいわば本書の導入部分であり、読み進むにつれ、納棺夫としての経験をベースとした生と死に対する作者の思索が存分に展開されていく。
私は映画「おくりびと」を見ていないが、著者は本書が映画の原作として扱われることを辞退されたのだという。唯一、『毎日新聞』には、それについての著者の思いが、以下のように紹介されていた。
送られてきたシナリオを見るとね、親を思ったり、家族を思ったり、人間の死の尊厳について描かれているのは、伝わってきて、すばらしいんです。ただ、最後がヒューマニズム、人間中心主義で終わっている。私が強調した宗教とか永遠が描かれていない。着地点が違うから、では原作という文字をタイトルからはずしてくれって、身を引いたんです。
(2009年3月2日東京朝刊)
映画の制作者サイドの方が、本書を熟読されたであろうことは想像に難くない。しかし、映画には本書のテーマであるところの、死とは何か、死を受け入れるところに見えてくる宗教的な世界は扱われなかったようである。逆に言えば、それだけ死そのものを見つめることが、一般に受け入れられがたいことを意味しているようにも思える。
本書には、こんな印象深い一節がある。
毎日毎日、死者ばかり見ていると、死者は静かで美しく見えてくる。それに反して、死を恐れ、恐る恐る覗き込む生者たちの醜悪さばかりが気になるようになってきた。
(71ページ)
このように本書には、人間中心主義のはらむ、都合の悪いものは見ないようにする不誠実さ、 人知で捉えられないものは捨象しようとする傲慢さに対する、敏感な批判的視線が流れている。生に絶対の価値を置く現代の風潮は、誰もが必ず死ぬという事実の前で、実は自らを孤立させ、本当の幸せを損なっていることに他ならないというメッセージが、著者の身近な体験を通して語られている。
その上で、親鸞聖人の思想に強く共鳴する著者は、生死を超えた光との出会いという、自らの宗教的な世界を披瀝している。「ただ自分が納得できるまで書き進んだだけ」という本書は、ある意味、読者を置き去りにするほどの勢いでもって、著者の出会った感動を伝えている生きた宗教書である。
また、こうした著者の真摯な姿勢は、俗信に根ざした葬儀のあり方や、死に携わりながら死から目をそらす僧侶への手厳しい批判ともなっている。それでいて嫌みがないのは率直で真面目な著者の人徳であろうか。浄土真宗を学ぶ僧侶の一人として、襟を正される思いのする一冊である。