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仏教は宇宙をどう見たか アビダルマ仏教の科学的世界観
本の紹介
  • 佐々木 閑 (ささき しずか)
  • 出版社・取扱者 : 化学同人
  • 発行年月 : 2013年1月30日
  • 本体価格 : 本体1,800円+税

序章  『倶舎論』への誘い
第一章 仏教の物質論-法と極微
第二章 仏教がとらえる内的世界-心・心所
第三章 仏教の時間論-諸行無常と業
第四章 仏教のエネルギー概念-心不相応行法
第五章 総合的に見た因果の法則-六因と五果
終章  分類によって変わる世界の見方-五蘊、十二処、十八界
附論  仏教における精神と物質をめぐる誤解-山部能宜氏に対して
文献案内
あとがき
索引

大学時代に、世親(天親菩薩)の『倶舎論』を勉強した。きわめて端的な表現の中に、世親の怜悧な分析力を感じたことを、本書を読んでいる中で思い出した。

釈尊は、教えを体系的に説かれたわけではなく、さまざまな聞き手に応じて、法を説かれた。仏教の原初の形は、そうした断片的な釈尊の言行録の集積である。弟子たちは、この教えを、「そのままに」継承しようとするが、やがて、その断片的な記録を整理し、まとめ、体系化したいとの機運が高まり、釈尊が入滅されてから400~500年ほど経過して、「アビダルマ」と呼ばれる体系化が行われることになる。世親『倶舎論』は、「アビダルマ」の随一の精華である。

本書は、この『倶舎論』に説かれる思想をもとに、仏教の宇宙観を論じている。そもそも、この本が「化学同人」から出版されていることに驚かされる。確かに、科学の中には、「科学史」というジャンルがあり、科学を歴史的に相対化しようとする知の蓄積がある。しかし、仏教は宗教であり、科学ではないのではないか。ただ、アリストテレスの例を出すまでもなく、科学的な知の営為と宗教のそれは、長らく未分化であった。また、『倶舎論』は、初期仏教の特質を受けて、「超越者や奇跡などの超常的要素を一切考慮せずに、法則性だけで物質・精神のすべてを含み込む全宇宙を一括して説明しようという壮大な試み」(207ページ)をなしとげ、「原因と結果の関係だけで粛々と展開する、静謐な機械論的宇宙」(17ページ)を提示しているのであり、そこには、科学的知につながっていくだろう(修行を含む経験に客観的に基づく)分析的知の働きが横溢している。著者は、仏教の森に分け入る前に、京都大学工学部で研鑽を積まれた。これまで、科学と仏教を曖昧に結びつける議論はしばしばあったように思われるが、本書では、著者の科学の世界で得た視座により、科学と仏教の知がどのようにつながりうるのかを、きちんと自覚されているように思われる。そこに本書の一番の特長があるのではないか。

もちろん、科学と仏教とは、異なる。修行によって、ただしく悟りをひらいていくことを目的として『倶舎論』は書かれている。そこに示されているのは、「心」を中心とする科学的世界観である。仏教の徒にとって『倶舎論』が必須の書であることは言うまでもなく、本書は『倶舎論』の優れたガイドブックにもなっているが、「現代科学とは異なる切り口から世界を見ると、どうなるのか」という知的好奇心をお持ちの方には、ぜひ、本書を手に取っていただきたい。本書を読めば、私たちが生きている世界観とは、まったく違った世界の見方が有ったことに、出会っていくことができるだろう。


評者:藤丸 智雄(浄土真宗本願寺派総合研究所教団総合研究室長)


掲載日:2013年6月10日