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他力を誤解するなかれ
本の紹介
  • 槻木 裕 (つきのき ゆたか)
  • 出版社・取扱者 : 探究社
  • 発行年月 : 2018年9月30日
  • 本体価格 : 本体3,500円+税

はじめに(本書の着想と核心)
I、ウォーミングアップ(WU)-問題の共有化のための短編-
II、念仏という行為の主体性と自力・他力-振舞いに関する同定基準の応用として-
III、「念仏という行為の主体性と自力・他力」の補論
IV、自他のリスポンシビリティと共感の行方-大庭健氏の倫理学書に依って-
V、アペンディクス-“ありのままの真実”とその人間化-
あとがき

日本の仏教界にとって2011年3月11日に発生した東日本大震災は、大きな転換点とも言える出来事だったのではないか。とりわけ注目されたこととして以下のことが挙げられる。

それまで葬儀不要論が頻出していたが、これを契機に「葬儀」「供養」の意味が問われ直されるようになったこと。人口減少、過疎化が進み、既存のコミュニティーが急激に変化していた中で「絆」の重要性が叫ばれるようになったこと。加えて、葬儀や法事といった仏事だけに関わるように思われていた僧侶が、寺院や地域、宗派の枠を超えて被災地で多様な活動を始めたこと。こういった僧侶の活動は、「み教えと実践活動とはどのように関わるのか」という問いを喚起した。これは浄土真宗本願寺派において、ご親教「念仏者の生き方」(2016年10月1日)において述べられた内容と関連して、現在も問われ続けている。

こうした「親鸞聖人のみ教え」「社会的実践活動」「浄土真宗本願寺派という宗門のあり方」に、浄土真宗本願寺派の僧侶であり、金沢学院大学で長く教鞭を執ってきた著者が真正面から取り組んだのが、本書である。

著者は、阿弥陀如来の本願の教えを受ける人々の間で「受動性にあまりに囚われすぎて、「念仏者の主体性の喪失」とも言える事態が実際に起こっているのではないか」(39ページ)という懸念を持ち、そのため本書では「念仏者の主体性」と「自力・他力」との関係を主題としている。そしてこの問題に対し、「ことばが表示(=指示)しようとする、対象としての事物・事態は一つなのに、それを捉える捉え方(表示の仕方=ことばによる記し方≒意味)は幾つもありうる」(11ページ)という着想に従い、「お育てにあずかる」「念仏させられる」「御影堂で涙して合掌する」「老人に車内の席を譲る」「浄土真宗の生活信条」など具体的な事例を題材にしながら論を展開している。

こうした点を突き詰めていくことで、「自己中心性」について、「真実を見抜けないことが原因で自己の存在に固執する自己中心性」と、「自己の利益ばかりを追及する自己中心性」を区別する。その上で、前者を克服すれば仏であるが、後者は凡夫でもある程度は克服可能であり、「他者の喜び・悲しみを自らの喜び・悲しみとする」よう主体的に努力することは十分な意義があると論じている。ここには、「自力と主体性を混同してはならない」(26ページ)、「そもそも人間の主体性を打ち出さない、打ち出せないような思想は、現代においてほとんど発信力も魅力もない」(92ページ)という著者の姿勢があらわれている。


評者:岡崎 秀麿(浄土真宗本願寺派総合研究所研究員)


掲載日:2019年2月12日