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Web版「一緒に歩こう~親鸞さまの道」

 浄土真宗本願寺派総合研究所 仏教音楽・儀礼研究室では、浄土真宗の伝承に着目し、実体験を重視する儀礼の立場から、親鸞聖人が歩かれたと推測される足跡を辿り、親鸞聖人のご事跡を追体験するガイドツアーを行っています。
 しかし、2020年初頭から新型コロナウィルス感染症が拡大し、今年度は参加者を募集しての開催を見送りました。
 そこで今回は、当初ガイドツアーで訪れる予定だった行程と、現地の報告をお届けいたします。

 令和5(2023)年は親鸞聖人ご誕生850年、その翌年は聖人が、『顕浄土真実教行証文類(教行信証)』を著され、浄土真宗のみ教えを開かれた「立教開宗」から800年を迎えます。なお、本願寺では、令和5(2023)年3月から5月に、5期30日間にわたり、その慶讃法要をお勤めいたします。そこで聖人が20年にわたるご修行をなされた比叡山の地を中心に、その足跡を訪ねてみました。

テーマ

比叡山での親鸞聖人

行 程

 京都駅から、JR湖西線で比叡山坂本駅へ移動。その後、徒歩で比叡山坂本ケーブル・坂本駅へ向かいます。距離は1.6㎞程度なのですが、なだらかな上り坂になっており、思ったよりも大変な道程です。これから比叡山を歩くのに、到着前から疲れてしまっては本末転倒です。坂本地域周遊バスが運行していますので、そちらを利用してもよいかもしれません。

 ケーブルカーに乗り、比叡山山頂駅へ。比叡山坂本ケーブルは、全長2,025メートルと日本最長のケーブルです。途中、車掌さんの軽快な解説を聞きながら、比叡山山頂へと向かいます。

 山頂駅の展望台からは、琵琶湖大橋を中心とした大津市が一望できます。当日は霞がかかっていましたが、琵琶湖大橋がよく見えました。

(比叡山山頂駅からの眺望:大津市)

 その後、徒歩で無動寺、さらに大乗院へと向かいます。
 無動寺は、比叡山の無動寺谷にある塔頭です。名前の「無動」とは「不動」のことで、不動明王をご本尊としていることにちなみます。平安時代、貞観7(865)年に建立されました。この寺院は、千日回峰行の拠点として知られます。
 無動寺から、さらに南に坂を下った所に、大乗院があります。ここは、親鸞聖人が比叡山で最初に修行された地と伝わります。『親鸞聖人正明伝』には、聖人が十歳の時、「少納言殿(親鸞)、僧正にともないて、叡南無動寺の大乗院に登り、四教義を読み始め給う」とあります。

 また、大乗院には、次のような伝承があります。比叡山で修行していた聖人は、自らの後世を問うため六角堂へ百夜の参詣を行っていました。しかし、毎晩抜け出すことが修行僧の間で噂となってしまいます。そこである晩、先輩僧侶が蕎麦の振る舞いをするので皆に集まるように声を掛けました。やはり姿が見えない聖人を修行僧たちはここぞとばかりに糾弾しようとしましたが、先輩の呼び掛けに対して居ないはずの聖人が現れて蕎麦を食べたのです。明くる朝、聖人が戻ると、一同驚きました。そして聖人そっくりの木像の口元に、そばがついていました。ここから、「そば喰いの木像」と呼ばれるようになったそうです。

(大乗院:親鸞聖人御修行旧跡の碑)

 大乗院のご本尊と、親鸞聖人のお木像を参拝し、次の目的地へ。無動寺谷から東塔周辺へは、直接行くことができないため、比叡山山頂駅経由で移動しました。
 東塔周辺につくと、ちょうどお昼です。昼食は、一隅会館の地下にある「鶴㐂そば」でいただきました。大乗院で拝見した親鸞聖人の「そば喰いの木像」に想いを馳せながらいただきました。

 昼食後、法然堂へ向かいます。大書院、延暦寺会館のそばを通り過ぎると、急な坂になっているので、注意が必要です。
 法然堂は、久安3(1147)年に、十五歳の法然聖人が皇円阿闍梨のもとで剃髪得度された場所。また久安6年(1150)に黒谷別所に移られるまで、この地でご修行されました。
 根本中堂から約100メートル離れた場所ですが、とても静かで落ち着く場所です。

(法然上人得度御旧跡の碑)

 その後、根本中堂を拝観しました。根本中堂は、延暦寺の総本堂。ご本尊は薬師如来です。比叡山を開かれた伝教大師最澄が、延暦7(788)年に創建した、一乗止観院がもととなっています。現在の根本中堂は、徳川家康の命によって、寛永19(1642)年に竣工されました。そして現在、祖師先徳鑽仰大法会記念事業として改修工事がおこなわれています(https://www.hieizan.or.jp/repair)。
 根本中堂の御本尊の前には、1200年間灯り続けている「不滅の法灯」が安置されていました。
 根本中堂を出ると、文殊楼へつづく長い石の階段があります。紅葉の時期でしたので、とても美しく色づいていました。

(文殊楼へと続く石階段)

 今回のコースで、もっとも大変なのがきらら坂の下山です。きらら坂は、古来より京都側から比叡山山頂に向かう主要道でした。名前の由来はいくつか説があり、京都市内から見ると、この坂から雲が生じるように見えたからだとか、この坂の花崗岩に雲母が多く含まれていたからだといわれます。また、登山口付近には不動明王を安置する雲母寺があったことから「不動坂」、朝廷からの勅使が延暦寺に向かう際に用いられたため「勅使坂」「表坂」とも呼ばれたそうです。
 京都市内の六角堂に参拝されたルートの一部を歩くことで、ひたすらに道を求められた親鸞聖人に、思いを馳せたいと思います。

 比叡山からは、京都トレイル(登山道)、それからきらら坂に向かいます。京都トレイルは、戒壇院の西側を通り抜け、西塔エリアへ向かう道からつながっています。なお、戒壇院から下る道の両端には、比叡山に関係する高僧を描いたパネルがあります。親鸞聖人のパネルもありますので、ぜひご自身で確認してください。

(西塔エリアへの案内板)

 叡山ロープウェイの「比叡山頂駅」までは、舗装された部分もあり歩きやすい道程です。

(京都トレイルの登山道)

(叡山ロープウェイを見上げる)  

 しかし、その後から、どんどん険しくなっていきました。スマートフォンの地図では道順が示されず、案内板と人の歩いた痕跡が頼りです。

(京都トレイルの案内)

(頼りの案内板)

 きらら坂は、2020年の台風の影響か倒木も多く、また獣道なのかもわからない部分もあり、一度引き返したこともありました。滑りやすい箇所、倒木の下をくぐらなければならない箇所、1メートルほど飛び降りるような箇所もあります。研究職員二人で行きましたが、次第に口数が少なくなりました。きらら坂を訪れる際には、十分に準備して、くれぐれも危険のないように注意してください。

(倒木も多い)

(京都市内を眺める)

 ようやく水音が聞こえるようになり、音羽川に近づきます。「親鸞聖人御旧跡きらら坂」の石碑と雲母橋が見えてきました。

(親鸞聖人御旧跡きらら坂の碑)

 きらら橋を渡り、今回のコースは終了です。

 今回は、研究職員のコース下見をもとに、体験談としてまとめました。みなさまが訪れる際の参考としていただければと思います。

【コースメモ】

○関連交通機関のご案内

・比叡山坂本ケーブル(https://www.sakamoto-cable.jp/

・叡山ケーブル・ロープウェイ(https://eizan.keifuku.co.jp/)冬期運休有り

○注意点

・きらら坂を含む京都トレイルの一部では、携帯電話の電波状況が季節等によって大きく変化する場合があります。

・研究職員が調査した時(2020年10月6日現在)と、登山道などが大きく変化している場合があります。

・きらら坂、京都トレイルには、自動販売機などがありません。携行食や飲料水など、各自でご準備下さい。また、ゴミは必ず持ち帰りましょう。

・登山に際しては、登山届を提出しましょう。
京都府警察(http://www.pref.kyoto.jp/fukei/anzen/tiiki/sangaku/index.html
滋賀県警察(https://www.pref.shiga.lg.jp/police/seikatu/chiiki/104765.html