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2021年度一緒に学ぼう 第4回『御文章』「八万の法蔵章」 講座の内容

「一緒に学ぼう西本願寺のおつとめ」は、聖典に説かれている内容を学び、一緒に声を出して唱え方を学ぶ講座です。  
『日常勤行聖典』に収められている中から、今年度は、『御文章』について学びます。講座は「座学」と「実践」の二部制で行います。「座学」の時間では、各『御文章』の内容等について、総合研究所の研究職員がやさしく解説し、「実践」の時間では、『御文章』の拝読法、合掌・礼拝などの作法について、おつとめを指導する専門講師が丁寧にお教えします。

第4回『御文章』「八万の法蔵章」

日時 2021(令和3)年12月16日(木) 10:00~11:30
会場 オンライン(Zoom)
講師 座学 溪英俊(総合研究所研究員)
   実践 桃園裕成(勤式指導所主任)
人数 32名

当日の内容

【座学の内容】

 第4回目は、「八万の法蔵章」の内容について学びました。『日常勤行聖典』では、127頁・128頁が今回の範囲です。以下に要点を述べていきます。

0.前回の質問について

 座学に入る前に、前回講座で学んだ「タノムタスケタマヘとは私が浄土に生まれたいと願う心(願生心)ではない」という点についてもう少し説明が欲しいとのご質問がありましたので、回答させていただきました。
 「お浄土に生まれたいと願う心」は「私」がおこす心ではなく、「阿弥陀仏」によって私の上におこされる心です。阿弥陀仏の第十八願には、私たちを「信じさせ、称えさせ、浄土に生まれさせる」ことが誓われています。阿弥陀仏は既に「必ず浄土に往生させるから、私にたすけさせて欲しい」と、私たちによびかけられておられます。私たちはその喚びかけに対して、「おまかせします。どうぞ心のままにおたすけください」と聞き入れるよりほかはありません。
 この阿弥陀仏に私の往生をすべておまかせするという事態を「たのむ」「たすけたまへ」という言葉で蓮如上人はお示しくださっております。

1.構成について

「八万の法蔵章」では全体を通じて、浄土往生には知識や学問よりも信心が大切であるという旨が示されています。今回は、その内容を四段落に分けて学んでいきます。
①「八万の法蔵を知ること」
②「信心のいわれを知ること」
③「親鸞聖人のお言葉」
④「信心を勧める」
以下、この段落にそって解説していきます。

2.八万の法蔵を知ること

 冒頭より「智者とすといえり」までは、「智者」と「愚者」とはどのようなものかについて示されています。
 「八万の法蔵」とは「お釈迦さまが生涯お説きくださったみ教えすべて」を指します。一般的にはこの「八万の法蔵」を学んで、内容をよく知るものは「智者」と呼べるべき存在です。しかし蓮如上人は、いくら「八万の法蔵」を知っていたとしても後世を知らなければ「愚者」であると示されます。反対に、文字も読めず在家生活のままのものであっても、後世を知っていれば「智者」であると示されています。すなわち蓮如上人は、智者と愚者の判別基準を、後世を知るか否かに置かれています。
 後世とは後生、命終えたその先のことを指します。阿弥陀如来のみ教えをいただく私たちにとって後生とは、まさしく阿弥陀仏の浄土に往生することです。まさに「後生の一大事」です。ですから蓮如上人は、いくら仏教を学問したとしても、「後生の一大事」に心得がなければそれは「愚者」なのであると示されるわけです。
 法然(源空)聖人がご往生の直前に遺された言葉である「一枚起請文」にも、

念仏を信ぜん人は、たとひ一代の法をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無智のともがらにおなじくして、智者のふるまひをせずして、ただ一向に念仏すべし。(『註釈版聖典』1429頁)

と、学問や知識ではなく、ただただお念仏をいただくことが往生の肝要であることが示されています。

3.信心のいわれを知ること

 先のご文をうけて、「しかれば当流のこころは」~「いたずらごとなりとしるべし」では、浄土真宗での心得について示されています。
 後世の浄土往生、すなわち後生の一大事について心得るということは、親鸞聖人が明らかにされた浄土真宗の教えからすれば、一念の信心のいわれを心得ることとなります。それは、前回までに学んだ「信心正因」のお示しからもお窺いすることができます。

4.親鸞聖人のお言葉

「されば、聖人の」~「仰せられたり」までは、これまでの蓮如上人のお示しについて、宗祖親鸞聖人のお言葉をもって証文とされています。
 ここで着目すべきは、「弥陀の本願を信ぜずしては、ふつとたすかるといふことあるべからず」とある中の「ふつと」という言葉です。これは現代語に直すと「決して・・・・・・でない」という意味になります。親鸞聖人は信心をいただかなければ「決してたすかることはない」という言葉をもって信心をいただくことの大切さをお示しになられていることが窺えます。

5.信心を勧める

「このゆえに」から終わりまでは、これまでのお示しを承けた上で、信心をいただくことを蓮如上人がお勧めしている一段です。
 なぜお勧めするのかといえば、阿弥陀仏の信心をいただいた人は、どのような人であっても十人なら十人とも、百人ならば百人とも、みな必ず往生することができるからであると明かされています。
 私たちの力で行う雑行であれば、それぞれの能力や修行内容に応じて結果は異なります。しかし、阿弥陀仏よりいただく信心は平等であり、浄土往生という結果に差はありません。ですから、くれぐれも浄土真宗の教えを疑うことがあってはならない、という蓮如上人お言葉で「八万の法蔵章」は結ばれています。

 以上のことを、座学の時間では学びました。

【実践の内容】

  第4回目の実践の時間では、「八万の法蔵章」の読み方を学びました。その概要を以下にまとめます。
  なお、「大切」など区切りの拝読法については第1回のWEB報告をご参照ください。

【ポイント】

・「それ、」・・・高切。高くとどめ切る。音程は変えないが、高くスパッときる。文章の冒頭の言葉。出だしをはっきりとさせる。変化をつけるが音程は変えない。

・「法蔵を」・・・「法蔵」は「ほうぞうを」とはっきり読むこともあるが、「ほーぞー」と発音する。その際は、「を」が直前の「ぞー」と繋がって意味が伝わりにくくなるため、「ほーぞーうぉ」と、「wo」で発音することが好ましい、

・「いうとも」・・・中切。「いう」「とも」と、二段階に落とす

・「しらざる人を」・・・大切の前に「引」。ただし、「引」はつけなかったとしても間違いではない。

・「愚者とす」・・・大切。大きく息を吸う。

・「一文不知の尼入道なりというとも」・・・中切。「いう」とあるが「ゆー」と発音。「一文不知の」が良く伝わるよう気をつけて発音

・「智者とすといえり」・・・大切。「智者とす、といえり」と文章の切れ目をはっきり伝わるように。

・「こころは」・・・中切(回す)。2つめの「こ」でおとす。

・「もろもろの聖教をよみ」・・・大切。「もろもろの」がはっきり聞こえるよう、「引」。ここの「を」も「wo」と発音し、「しょーぎょーうぉ」と文が伝わりやすいように

・「というとも」・・・中切。

・「しらざる人は」・・・中切。

・「いたずらごとなりとしるべし」・・・「ごとなり」で引、「知るべし」で大切

・「されば」・・・高切。音が高くではなく、高いまま切る。

・「御ことばにも」・・・中切。

・「男女たらん身は」・・・「ん」から下がる。

・「信ぜずしては」・・・中切。

・「弥陀の本願を」・・・「を」は読むときは「の」を発音する。

・「ふつと」・・・かつては鼻音で読んでいたが、今は意味から「つ」としっかり発音している。

・「仰せられたり」・・・大切。直前には「引」。

・「女人なりというとも」・・・「ゆー」と発音しながら中切。

・「雑行をすてて」・・・「雑行を」で引、すてて中切。

・「たまえと」・・・「たまえ」で回し、中切。

・「もうさん人は」・・・もうさんで引、「人は」で大切。

・「十人も百人も」・・・中切。

・「すべきこと」・・・「き」「こと」で二段階おりて中切。

・「さらさら」・・・高切。

・「疑いあるべからざるものなり」・・・大切。「ざる」あたりで引。大切は文章の終わりなので、ゆったりと終わる。

※全体的に、最初はゆっくりと読み、途中はテンポ良く、そして最後はまたゆったりとスピードを落として終わる。ご文の重みを伝える。

・「あなかしこ」・・・一文字ずつを大事に拾うように発音する。

 以上のことを、実践の時間では学びました。

 次回は、1/20(木)10:00-11:30です。「白骨章」について学んでいきたいと思います。
 講師は、座学:塚本一真(総合研究所上級研究助員)
     実践:未定(本願寺式務部職員)の予定でございます。
 今年度の儀礼講座は次回で最終回となります。まだまだWEBにて受付しておりますので、皆さま是非ともお誘い合わせの上ご参加ください。