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2021年度一緒に学ぼう 第3回『御文章』「末代無智章」 講座の内容

「一緒に学ぼう西本願寺のおつとめ」は、聖典に説かれている内容を学び、一緒に声を出して唱え方を学ぶ講座です。
『日常勤行聖典』に収められている中から、今年度は、『御文章』について学びます。講座は「座学」と「実践」の二部制で行います。「座学」の時間では、各『御文章』の内容等について、総合研究所の研究職員がやさしく解説し、「実践」の時間では、『御文章』の拝読法、合掌・礼拝などの作法について、おつとめを指導する専門講師が丁寧にお教えします。

第3回『御文章』「末代無智章」

日時 2021(令和3)年12月2日(木) 10:00~11:30
会場 オンライン(Zoom)
講師 座学 西村慶哉(総合研究所研究助手)
   実践 桃園裕成(勤式指導所主任)
人数 30名

当日の内容

【座学の内容】

 第3回目は、「末代無智章」の内容について学びました。『日常勤行聖典』では、126頁・127頁の見開きが今回の範囲です。以下に要点を述べていきます。

0.参考文献について

 座学に入る前に、前回講座で「参考文献を示して欲しい」とのご質問がありましたので、回答させていただきました。『御文章』を解説した書籍はたくさんありますが、いまは比較的購入しやすいものを下記に示しています。

  •  ・天岸浄圓『御文章ひらがな版を読む』本願寺出版社、2012年
  •  ・内藤知康『御文章を聞く』本願寺出版社、1998年
  •  ・宇野行信『聖典セミナー御文章』本願寺出版社、1994年
  •  ・清岡隆文「聖典セミナー『御文章』」 (『季刊せいてん』23号~46号)

 

1.「末代無智章」の構成について

 「末代無智章」は、全体を見渡しても短い『御文章』の一つです。しかし、この中には親鸞聖人の教えの肝要である「信心正因」と「称名報恩」が簡潔に示されています。これは第1回で学んだ「聖人一流章」とも同じ構成です。

2.「たのむ」と「たすけたまへ」

 まず「信心正因」について示された前半部分(末代無智の~誓願のこころなり)について学びました。「末代無智章」をはじめ、多くの『御文章』では「他力信心」についてお示しする際に、「たのむ」や「たすけたまへ」といった表現がよく用いられています。現代の我われからすると、一見この言葉は阿弥陀仏に「助けてくれ」と「お願い」しているようにも受け取れます。しかし、「たのむ」という言葉は、蓮如上人の頃と現代とでは用法が異なっていることに注意しなければなりません。

 試しに、『広辞苑』(第七版、岩波書店、2018年)を手にとってみますと、【たのむ】の項目には、

  1.  ①力を貸してもらえるよう相手にお願いする。
  2.  ②あてにする。それを力とする。
  3.  ③信用する。
  4.  ④他に委ねる。委託する。依頼する。
  5.  ⑤その人を主人として一身を託する。

と書かれています。しかし、室町時代の言葉遣いが示されている『時代別国語大辞典(室町時代編)』(三省堂、1985年)で、【たのむ】の項目を見てみますと、

 ①その人やものが、自分の力・助けになってくれると信じて、それにすべてをあずける
 ②特に、その人を主人と仰いで、そのもとに身を寄せる。
 ③必ず良い結果が出ると信じて、それに将来を托する。
 ④「たのまる」の言い方でその人から托されたところを、一身をかけて引受ける意を表わす。

と書かれています。すなわち、蓮如上人の時代では【たのむ】とは、「お願いする」という意味ではなく、「お任せする」という意味で用いられていたことがわかります。
 本章でも、「阿弥陀仏をふかくたのみ」や「一心一向に仏たすけたまえ」とのご文が見えます。これらは決して「阿弥陀さま、どうか私をお救いください」という請求の意味ではなく、阿弥陀仏の「必ず救うから私に助けさせて欲しい」という呼びかけに対して、「おまかせします。どうぞ心のままにお助けください」と許諾する意味となります。つまり、「たのむ」も「たすけたまへ」も、阿弥陀仏のご本願をそのまま受け入れるという他力の信心を表した言葉であることが分かります。

3.報恩の念仏について

 次に後半の「かくのごとく決定してのうへには」以降は、「称名報恩」を表す一段です。ここでは、信心をいただいて往生することが定まった上では、「寝ても覚めても命のある限りは称名念仏をさせていただきましょう」と、蓮如上人が報恩のお念仏をお勧め下さっています。
 宗祖親鸞聖人の師である源空(法然)聖人は、

信をば一念にむまるととり、行をば一形はげむべし。
            (『和語灯録』、『聖典全書』六所収、五六〇頁)

とのご法語を遺されています。さまざまな解釈があると思いますが、「一念」とは「とても短い時間」を表すことばであり、「一形」とは「いのちのある限り」という意味であることを考えると、「信心をいただくと即座に極楽に往生することが定まり、その後は命のある限りお念仏をつとめさせていただきましょう」というお示しであると受け取ることができます。今の『御文章』のご文も、このお示しを受けられたものではないでしょうか。
 また、このお念仏の心持ちについて『蓮如上人御一代記聞書』では、

弥陀におまかせして救われることがたしかに定まり、そのお救いいただくことをありがたいことだと喜ぶ心があるから、うれしさのあまりに念仏するばかりである(『現代語版聖典』一四頁)

と、お示しくださっています。
 以上のことを、座学の時間では学びました。

 

【実践の内容】

 第3回目の実践の時間では、「末代無智章」の読み方を学びました。その概要を以下にまとめます。
 なお、「大切」など区切りの拝読法については第1回のWEB報告をご参照ください。

1.前回の質問(ご法話の時に御文章箱を講台を運ぶ作法)

 布教の時、どこから内陣に入るかは明確に決まっていない。後門・下陣・余間いずれにしても段差があるので、段差の前は足を揃え、左足から踏み出す。越えたらまた足をそろえる。
『御文章』の前で一揖、中啓を襟元に、箱を目の高さまであげて保持。ご本尊に背中を向けない方向に振り返る。保持しているときは一揖はしない。段差は同じく足を揃えてから歩く。演台まで箱を保持して置く。蓋を開ける場合は本尊に遠い方向であける。返すときは逆に。

    ※なお、当ホームページでも布教時の作法について紹介しておりますので、併せてご参照ください。

2.末代無智章の拝読法

【ポイント】

・「末代(まツだい)」の「ツ」は鼻濁音(鼻音)で発音する。難しければ「ツ」と発音して正確に言葉を伝える。

・「無智の」・・・中切。段階的に音を下げる。

・「男女たらん」・・・「引」が入る。大切の前には「引」が入る場合と入らない場合もある。伝承ではなく、拝読者の表現方法の1つ。必ず「引」く必要はない。

・「ともがらは」・・・大切。文章に区切りが入る箇所。手前から引いて、語尾を半音ほどなめらかに下げる。無理矢理ではなく、自然にすっと下げる。
「引」も「大切」も語尾にすっと半音ほど下げる。大切のところで息継ぎをすることになっている。

・「こころをひとつにして」・・・中切。「にして」は「回す」(第2回WEB報告を参照)。ここの「つ」は鼻音にならない。

・「阿弥陀仏を」・・・「仏を」は変音して「ぶっと」と発音。

・「まいらせて」・・・大切。ここは「引」がつかない。ただし、伸ばしても間違いではない。

・「こころをふらず」・・・中切。

・「一心一向」・・・「いっしんいっこう」と促音

・「仏たすけたまえ」・・・「仏」は「ぶっ」と発音し、「ツ」と言わない。

・「衆生をば」・・・「うを」と母音が続く。口では「しゅじょーをば」というが、「衆生」と「をば」が違うことばということが分かるよう発音に気をつける。

・「なりとも」・・・中切。「り」の途中から下がる。

・「すくいましますべし」・・・大切だが「引」はしない。

・「これすなわち」・・・「回す」後に中切。

・「第十八の」・・・中切。

・「念仏往生の誓願のこころなり」・・・大切。「仏」は鼻音。

・「決定してのうえには」・・・中切。「決」は鼻音。

・「いのちのあらんかぎりは」・・・大切。「ん」とところで引。

・「称名念仏すべきものなり」・・・「仏」は促音「ぶっ」。最後は大切のように半音下げて読む。『御文章』の内容を噛みしめる思いでゆっくりと終わらすと雰囲気が引き締まる。

・「あなかしこ」・・・最後の大切の下がった音のまま、「あなかしこ、あなかしこ」と発音。しっとりと、心に感銘をうけたまま「ああ尊い、ああ畏れ多い」という心を込めることが大事。

以上のことを、実践の時間では学びました。

 次回は、12/16(木)10:00-11:30です。「八万の法蔵章」について学んでいきたいと思います。講師は、
 座学:溪英俊(総合研究所研究助員)
 実践:桃園裕成(勤式指導所主任)
の予定でございます。次回もご参加をお待ちしております。