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第11回 行ってきました“親鸞さまの道” ~浄土教の展開と親鸞聖人のご誕生~

 2019(令和元)年7月13日(土)、第11回「一緒に歩こう 親鸞さまの道」を開催いたしました。

 「一緒に歩こう 親鸞さまの道」は、儀礼的側面から、親鸞聖人が歩かれたと考えられる道を歩く行事です。聖人の足跡を追体験しつつ、その生涯を学び、み教えを味わうことを目的として開催しています。

 今回は「浄土教の展開と親鸞聖人のご誕生」をテーマとし、浄土教の展開と関係の深い宇治や、親鸞聖人が幼少の頃に過ごされた日野の地を訪ねました。

今回のコース

ツアーの様子

 当日は、JR宇治駅に集合しました。開始式を行い、平等院へ向けて出発します。道中、宇治川の辺にある紫式部像前で、宇治について解説をしました。
 平安時代中頃、この地は、藤原氏など貴族の別荘地として発展します。日本最古の文学作品である『源氏物語』後ろの十巻は「宇治十帖」と称され、宇治を舞台としています。
 参道を通り抜け、平等院に到着。まず庭園前で、平等院の歴史や末法思想を背景とした浄土教の展開について、研究職員が解説をしました。
 平等院はもともと藤原道長の別荘でした。その息子・頼通は、1052(永承7)年にこれを寺院に改めたのです。特にこの年は、末法元年といわれていました。末法とは釈尊が入滅された後、教えだけが残る時代のことです。この時代になると、邪見がはびこり、社会は乱れ争いが起こるとされ、貴族をはじめ一般の民衆にまで不安が広がっていました。そこで当時の貴族は、極楽往生を願い、阿弥陀仏を本尊とする寺院を盛んに造営したのです。平等院は、そのような寺院の代表といえるでしょう。さらにミュージアム鳳翔館を観覧し、平等院が所有する多くの法宝物を見学しました。

 

※末法

 仏教では、釈尊入滅後、時代がうつるにつれて次第に仏教が衰微していくさまを正法・像法・末法の三つの時期に区分して示した。正法とは教(仏の教法)と行(実践)と証(さとり)の三つがすべてそなわっている時代、像法とは教と行の二つが存しているが証のない時代、末法とは教のみあって行と証のない時代のこと。


宇治川の辺にて
 
平等院庭園前での解説

 その後、平等院近くにある昼食会場へ。残念ながら、このあたりから小雨が降ってきました。美味しい食事をとり、午後に向けて英気を養います。
 昼食後、次の目的地の三室戸寺に向けて出発。途中、源氏物語ミュージアムの前を過ぎ、「かげろうの道」を歩きました。この道の途中には、平安時代後期の作と伝わる自然石に彫られた「線刻阿弥陀三尊」があり、この地に浸透した浄土教の様子がうかがえます。
長い参道を通り、三室戸寺に到着。三室戸寺は、アジサイ寺としても有名な寺院ですが、蓮の名所でもあります。この日も多くの蓮の花が、私たち一行を迎えてくれました。
 まず山門前で、三室戸寺の歴史や、西国三十三箇所巡礼などを解説しました。三室戸寺は、本山修験集の別格本山で、西国三十三所観音霊場の第十番札所となっています。一説によると、770年頃、宮中の奇瑞によって、山奥の渓流から千手観音があらわれ、それを喜んだ光仁天皇の勅願により御室を移してその観音をまつり、御室戸寺としたのが当寺の起こりと伝えられています。
 その後、本堂前で合掌・礼拝。続いて、阿弥陀堂の前に移動し、日野有範卿や親鸞聖人、覚信尼公との関わりを解説しました。
 親鸞聖人の父・有範卿は、聖人が幼少の頃に出家し、三室戸寺で隠棲されます。また、阿弥陀堂の場所には、もともと有範卿のお墓がありました。聖人の末娘・覚信尼公はそれを整備し、その上にお堂を建てて阿弥陀堂としたと伝えられています。

 

※西国三十三箇所

 近畿2府4県と岐阜県にある、33か所の観音信仰の霊場のこと。


三室戸寺の山門前に到着
 
阿弥陀堂に参拝

 三室戸寺を出発し、次は法界寺へと向かいます。今回のツアーでは、京阪電車とバスを利用しました。法界寺の最寄りバス停は「日野薬師」ですが、その一つ前のバス停「日野」で下車。日野の地は、親鸞聖人が幼少期を過ごされた場所です。もしかすると、このあたりを幼い聖人も歩いておられたのでは、と思いつつ歩きました。

 法界寺に到着後、まず阿弥陀堂に参拝します。そして、ご住職から法界寺の歴史、親鸞聖人との関係について解説をいただき、その後、堂内を見学させていただきました。

 1051(永承6)年、日野家の祖・資業(すけなり)が、薬師如来を安置するお堂を建てたのが法界寺の始まりです。また、安産や母乳の出がよくなるといわれることから、女性を中心に信仰を集め、法界寺は別名「日野薬師」「乳薬師」とも称されます。その後、末法思想を背景とした浄土信仰が広まるなか、法界寺にも丈六の阿弥陀仏座像を安置する阿弥陀堂が建立され、境内地が整備されていきました。ご本尊の阿弥陀仏は、定朝(じょうちょう)様式の寄せ木造りで、平等院鳳凰堂のご本尊との類似性がみられます。

 その後、日野誕生院に移動。はじめにご本尊の前で「重誓偈」のお勤めを行います。その後、西本浩二日野誕生院主管から、日野誕生院の歴史と建物についての解説をいただきました。

  この地は、奈良の春日野に地形が似ていたことから、「春日野」と呼ばれていました。しかし、春日野と書かれた木札を鹿が舐め、「春」が取れてしまいます。それを見た藤原真夏が、ここを「日野」と呼び、この地を賜り、法界寺の建立とともに、日野氏を称するようになりました。親鸞聖人は幼少の頃、この法界寺の阿弥陀仏の膝下でお過ごしになります。そして1828(文政11)年、親鸞聖人ご誕生の地を顕彰して堂宇が建立されました。これが日野誕生院の始まりです。江戸時代に活躍した女流俳人・田上菊舎(たがみきくしゃ)の寄進によるといわれます。その後、1931(昭和6)年に本堂が改修されました。その時、親鸞聖人のご誕生を記念するお堂なので、平安時代の建築様式が用いられ、三方を回廊で囲む現在の形式とされたのです。幼少の親鸞聖人を想像しながら、お話をうかがいました。


法界寺阿弥陀堂へ到着
 
日野誕生院での解説

 最後に研究職員が今回のまとめの話をして、ご本尊に合掌・礼拝。記念撮影をして、全日程が終了しました。

 当日は平均気温よりも低く、雨を除けば歩きやすい気候でした。開催時期が例年よりも早かったこともあり、参加者の半分は初参加の方々でした。参加者の方同士も会話がはずみ、和気あいあいと歩くことができました。本当にありがとうございました。


日野誕生院にて

参加者の声―当日のアンケートから―

・自分では、なかなか行かない寺院を参拝することができてよかったです。(40代・女性)

・ご縁ありがとうございました。(60代・男性)

・いつもお世話になり貴重な時をありがとうございます。また企画よろしくお願い致します。(70代・男性)

・歩くのに自信がなかったが、どうにか無事行けました。楽しかった。(70代・女性)

・いろんな思いの中歩けて楽しかった。(30代・女性)