HOME > 参加する! > 真宗儀礼講座

第10回 行ってきました“親鸞さまの道”~帰洛後の親鸞聖人~

 2019(平成31)年3月2日(土)、第10回「一緒に歩こう 親鸞さまの道 ~帰洛後の親鸞聖人~」を開催いたしました。
 「一緒に歩こう 親鸞さまの道」は、さまざまな文献史料や伝承をもとに、親鸞聖人が歩かれたと考えられる道を歩きながら学び、聖人の足跡を追体験することを目的として開催している行事です。
 今回は「帰洛後の親鸞聖人」というテーマで、親鸞聖人が京都にお戻りになってから、90歳でご往生されるまでの足跡をめぐりました。

今回のコース

ツアーの様子

 当日の朝は、西本願寺の聞法会館に集合して開始式を行った後、貸切バスで一路真宗大谷派岡崎別院を目指しました。

 岡崎別院では、ご輪番の福田大(ふくだ まさる)先生から、岡崎別院の歴史や親鸞聖人との関係についてお話しいただき、その後、それぞれに境内の「鏡池」や「八房の梅」などを見学しました。親鸞聖人は29歳の時に比叡山を降りて法然聖人の門弟となり、岡崎に草庵を結んで吉水の法然聖人の所に通われたと伝えられます。また、関東から京都に戻られた親鸞聖人が最初に住まわれたのも、岡崎の草庵であったと『親鸞聖人正統伝』に記されています。岡崎別院はその旧蹟を伝えるお寺です。


岡崎別院に到着
 
岡崎別院の福田先生のお話

 岡崎別院を出てからは、青蓮院・崇泰院・知恩院の前を通り、途中昼食休憩を取りながら、五条西洞院を目指しました。

 

 帰洛された親鸞聖人は、所々を移住された後、五条西洞院に居を定められたと『御伝鈔』に記されていますが、その旧蹟を伝える寺院が、浄土宗の大泉寺と真宗大谷派の光圓寺です。また一説には、この地はもと九条兼実公が、法然聖人の教えを聞いて剃髪し、法名を円証(円照)と号して隠居された別殿(花園殿)があり、親鸞聖人が玉日姫とご結婚されてお住まいになったところであるともいいます。
 大泉寺では、前住職の漆葉龍彦(うるしは りゅうげん)先生から、光圓寺ではご住職の横田典(よこた つかさ)先生から、それぞれお寺の歴史をお話しいただき、「親鸞聖人90歳かたみの真影」「九条兼実公坐像」「玉日姫坐像」「覚信尼公坐像」「大部の平太郎坐像」など、それぞれのお寺に伝わる法宝物を見せていただきました。両院ともたいへん暖かくお迎えいただき、参加された方々も、長い道のりを歩いた疲れが癒されたのではないかと思います。


大泉寺の漆葉先生のお話
 
光圓寺の横田先生のお話

 五条西洞院をあとにして、柳馬場御池通上る虎石町の善法坊跡を目指しました。親鸞聖人は83歳のときに火災にあわれて弟の尋有法師の善法坊に移り住み、90歳のとき、同所でご往生されたと伝えられます。この善法坊があった場所については二説あります。一つは、柳馬場御池通上る虎石町(現在の京都市御池中学付近)と、もう一つは、西本願寺の飛地境内である角坊です。御池中学の西側には、現在「見真大師遷化之舊跡」の碑が建立されており、その前で研究職員が解説をしました。


「見真大師遷化之舊跡」の碑前での解説

 角坊に到着して、まず本堂で重誓偈のおつとめをし、主管の久野昌英(ひさの まさひで)先生よりお話をいただきました。角坊は、本願寺第二十代の広如上人が、親鸞聖人600回大遠忌を迎えるにあたって調査研究を命じて、親鸞聖人ご往生の地と定められて、そこに坊舎が建立されたことに始まります。爾来、角坊別院として人々に崇敬され、平成20年には本願寺の飛地境内とされ角坊と称されるようになりました。


角坊の久野先生のお話

 最後に、角坊の境内に立つ親鸞聖人の旅姿像の前で写真を撮って、無事に全行程が終了しました。


親鸞聖人旅姿像の前で集合写真

 今回は、かなり長距離を歩く大変な行程でしたが、参拝した岡崎別院、大泉寺、光圓寺、角坊の各寺院でご説明くださった先生方が、みなさん、楽しくそしてわかりやすいお話をしてくださいましたので、お陰様で、大変ななかでも和やかな気持ちで歩くことができました。本当にありがとうございました。

参加者の声―当日のアンケートから―

・楽しく過ごすことができました。ありがとうございました。(70歳代・男性)

・お世話様でした。お寺参り、ありがたいと思いました。(80歳代・女性)

・大変良い企画であり、もっとたくさんの人が参加して欲しい。(70歳代・女性)

・とにかく思った以上の内容でした。個人ではとても行けないところでした。ありがとうございました!(60歳代・男性)

・疲れましたが、よかったです。予習の時間がもっとあるとよかったです。(60歳代・女性)