目 次 ・ 収 録 内 容 |
●特集 あわてないための「大乗非仏説」入門 「〈仏説〉とは何か―古代インドの大乗仏説論に学ぶ」藤田祥道 「天才・富永仲基―江戸時代の大乗非仏説論」早島 慧 「近代の衝撃―村上専精の大乗非仏説論」菊川一道 「〈仏に見えた〉人々」壬生泰紀 釈尊入滅から数百年後、インドにおいて新しい仏教運動が起こりました。現在、浄土真宗をはじめ日本の伝統仏教の多くがその流れを汲んでいる「大乗仏教」です。その大乗仏教が仏説ではないとする主張を、「大乗非仏説」論といいます。初めて聞くとショッキングかもしれませんが、大乗非仏説論そのものは最近になって提起された問題ではありません。わが国では江戸期から現在にいたるまでたびたび議論されており、古くは、仏教の故地・インドでも、大乗仏教がおこった当初から論じられてきたのです。 特集ではそんな中から、4~5世紀頃のインドで記された『大乗荘厳経論』、江戸時代の富永仲基、明治時代の村上専精、そして近年の仏教史研究で指摘されている見仏と経典の関係にスポットを当てます。「浄土真宗は仏説じゃないんですか!?」とあわてないために、これらの議論の積み重ねを通して、「仏説」の深い意味をうかがっていきましょう。 ●はじめの一歩1 真宗〈悪人〉伝 9 井上見淳 「顕如と教如」(上) 教団史上「悪者」とされてきた人物たちの人生を通して、ちょっと違う角度から真宗の歴史と教えを学ぶシリーズ。時は戦国、人間の欲望という〈悪〉が渦を巻いていた混沌の時代。本願寺は日本有数の巨大教団として、第十一代顕如上人のもと、日本の社会や経済にまでも圧倒的な存在感を放っていました。それはまた、本願寺が戦国の争乱から距離を置くことは許されないということをも意味していました。「石山合戦」と呼ばれた織田信長との戦いを軸に、本願寺の東西分立に至る、顕如上人と教如上人父子の物語を、三回シリーズでお届けします。 ●はじめの一歩2 幸せってなんだろう―悪人正機の倫理学― 3 藤丸智雄 「自分らしさ」 「悪人正機」という特殊性を持つ浄土真宗という宗教を中心に据えながら、古今東西の宗教や倫理学の知見を通じて、「幸せ」について考える連載。今回のテーマは「自分らしさ」です。広告のコピー、イベントのスローガン、JPOPの歌詞など、特に若者を対象にしたポジティブなメッセージとして、これほど世にあふれている概念もないかもしれません。実はこの「自分らしさ」は、古代から倫理思想の重要なテーマでもありました。では、「自分」への執着を否定する仏教では、「自分らしさ」をどう考えるのでしょうか。ここでご提案したいのが、「自分らしさ」の浄土真宗的発展形ともいうべき、「他人らしさ」です。 ●聖典セミナー 『歎異抄』11 矢田了章 「第十条―無義をもつて義とす」 『歎異抄』研究をライフワークとされている矢田了章先生による『歎異抄』講座。今回拝読する第十条に示された親鸞聖人のお言葉は、わずか三十文字ほどです。これまで拝読してきたお言葉の中では最も短いものですが、そこに示された教えはとても大切なものです。今回の矢田先生の解説を読ませていただくと、このあとの第十一条から第十八条に記される「歎異篇」の異義の数々は、このお言葉を忘れたところに表れてくるもののように思われます。「歎異篇」の概説とあわせて「無義」のこころを味わわせていただきましょう。 ●せいてん誌上講演 「正信偈」19 梯 實圓 「善導大師(2) 無量寿仏の名をたもて」 故・梯實圓和上による「正信偈」の講演録。現在、七高僧のお一人である、中国の善導大師の段に入っています。前号では、『観経』が愚かな凡夫の救いを説いた経典であることを明らかにされた善導大師のご功績を学びました。ではなぜ大師は『観経』をそのように読むことができたのでしょうか?善導大師の前人未到の『観経』解釈に鋭く迫っていただきます。 ●もう1人の「親鸞」3 黒田義道 「伝道者としての親鸞聖人」 「宗祖」として様々に描かれてきた親鸞聖人に関する伝説的物語をクローズアップして、その物語を語り継いだ人々の心をうかがう真宗史入門。学術的に明らかにされている「もう少し知りたい」情報もご紹介しています。今号は、親鸞聖人のご生涯において非常に重要な役割を果たす「行者宿報の偈(ぎょうじゃしゅくほうのげ)」という夢のお告げにまつわるお話です。 ●おてらカメラ―ちょっとの工夫でこの違い (新) 中西康雄 「お寺の外観を撮ろう」 デジタルカメラやスマートフォンが普及し、お寺の寺報やホームページにお寺の方やご門徒さんが撮影された写真を掲載するのも当たり前の時代になりました。誰でも手軽に写真を撮れるようになった一方で、もう少し上手に撮ってみたいと思っている人も多いのではないでしょうか。そこで!カメラマンの方から、お寺に関する写真撮影のコツを学ぼうというのが、この新連載です。ご執筆くださるのは、長年、本願寺出版社のカメラマンをつとめられた中西康雄さんです。今回は、コンパクトカメラを持って、中西さんと一緒に角坊の本堂を撮影してきました。 ●法語随想 悲しみとともに 3 溪 宏道 「しかれば、大悲の願船に乗じて……」 生きていると、消えることのない深い悲しみを経験することがあります。そんな悲しみに寄り添ってくださる阿弥陀さまのお慈悲を、聖典の言葉から味わう法話のコーナーです。今回は、今年ご往生された溪先生のお母様のお話です。 ●読者のページ せいてん質問箱 (新) 大原実代子 「本願寺の〈菊花展〉はいつからはじまったの?」 仏教・浄土真宗の教えや仏事に関する読者の皆さまの身近な疑問にお答えするQ&Aコーナー。今号から本願寺史料研究所の大原実代子先生にご執筆をお願いしました。お答えいただいた質問は、毎年秋に行われる本願寺菊花展の由来について。たしかに、なぜ本願寺で菊花展が行われているのか、謎ですね。 ●人ひとみな いろ、といろ 3 とよだまりさ 「お浄土って何色?」 NHK連続テレビ小説ドラマ『純と愛』『てっぱん』で絵画指導を行うなど多方面で活躍中の、とよだまりささんのエッセイをお届けしています。アーティストの方の感性には、やはり独特のものがあるのでしょうか。とよださんとやり取りをさせていただいていると、自分にはない繊細さを感じることが多くあります。今回は、そんなとよださんが感じた「あたたかさ」について。 ●お寺はいま 兵庫県尼崎市・西正寺 「出会いの場としてのお寺」 ユニークで工夫をこらした活動を行うお寺を紹介する取材記事。寺院活動のヒントがつまっています。今回は、お寺で地域の人たちとまちづくりのカレーイベントを行ったり、地域・社会の問題を考えるワークショップを開催している西正寺を取材しました。 ●西の空 心に響くことば 「大きな手」(榎本栄一) 心に響く言葉を美しい写真とともに味わう、ほっと一息つくことのできるコーナー。素朴な言葉で人生のまことをうたった「市井の仏教詩人」榎本栄一さんの詩をお届けしています。今号の詩は「大きな手」。仏さまに包まれながら日々を送った榎本さんの安心感があらわれている詩のように思えました。 |
---|
HOME > 刊行物 > 聖典・書籍
季刊せいてん no.120 2017 秋の号 |